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02. 祝膳はありましたか?

19名の天使ママ・天使パパに聞きました。
「祝い膳」はどのようにしましたか?

SNSを通じて、天使ママに「祝膳」についてのアンケートを実施しました。もし、今まさに、赤ちゃんを亡くされてこの記事を見つけてくださった方がいたのなら、天使ママの先輩方がどのような想いで、その選択をしたのかを知る機会になるかもしれません。
このような正解のない問いに対して、みなさんはどのようにしているのかなと、疑問に感じることがお子さまを亡くしたママやパパなら、きっとあるかと思います。今回は、それぞれの想いを知り、天使ママや天使パパご自身にあった想いを見つけられるきっかけにつながるといいなと思い、ここにまとめます。

祝膳が出た、出してもらった(52%:10名)

・私の入院していた病院の場合は、看護師さんが「出産翌日は祝膳を用意していますが、どうされますか?」と聞きにきてくれたので、私は少し考えた結果、出してもらうことにしました。まともに食べれてなかったのもあり、祝膳なら少し食べられるかなと思ったからです。自分からお願いして出してもらいましたが、豪華な食事で我が子に生まれてきてくれてありがとうと思いながら祝膳を噛み締めました。(Aさん)
・私も、悲しくて仕方ないのに食欲だけはありました。感染もあり熱がだて個室隔離されていたので飲みものも自由に飲めず。こんなに悲しくても、お腹は減るんだなって思い出しました。(Aさん)
・私は、胎児水腫で子どもを亡くしました。診断を受けてから、いつ何が起こるかわからなかったので、事前にバースプランを決めていました。その中で、どんな形であれ娘が生まれたことを喜びたいと伝えていたので、祝膳は出してもらいました。当時、祝膳が出してもらったことを失敗だったかなと思っていましたが、今振り返ってみると、よかったなと思っています。(Cさん)
・そういえば、「これって祝膳なのかな」って思いながら口にした覚えがあります。死産であっても、死産後ってハイになっていたのもあり、一仕事終えた〜という気持ちで半分は食べた記憶があります。(Hさん)
・私の病院では、死産の時祝膳が出ました。助産師の方が「他の方達と同じように対応させてください」と言って持ってきてくださいました。お膳には、お品書きと一緒に「お疲れ様でした」と書かれたカードが添えられていました。立派なお食事だったし、他の方と同じようにという言葉が嬉しかったです。でも、息子が生きていたらもっと美味しかったのだろうなと思いながら食べた覚えがあります。(Kさん)
・祝膳ではありませんでしたが、普通の食事よりも少し豪華でしたので、「きっとお祝いの食事」なのかなと思って食べました。(Tさん)
・祝膳をお願いして出してもらいました。2人目を死産したので、出産したら祝膳が出てくることは知っていました。しかし、一口も食べることができなかったので見舞いに来ていた両親に食べてもらいました。(Uさん)
・産後は体調が悪く、食事を食べれていませんでした。そのため、入院の最終日に「退院おめでとうございます」というカードを添えられた、少し豪華(メロンが出ました)な食事が出ました。(Oさん)
・入院していた助産師に聞かれました。「祝膳が通常は出ますが、どうされますか?」。亡くなった我が子に申し訳ないという気持ちもありましたが、お願いして少しだけ食べました(Kさん)
・食事が有名なクリニックでしたので、出してもらいました。通常は入院されている方同士、テーブルで食べることになっていたのですが私は個室で食べられるよう配慮してくれました。(Fさん)

祝膳がでなかった、出してもらわなかった(36%:7人)

・出ませんでした。とても複雑でした。当事者に選ばせてくれればいいのに、と思いました。なので、レインボーベビーを授かったら、祝膳を出さないでくださいってお願いするつもりです。亡くなった娘に申し訳ない気持ちですので。入院中はお腹が空いて、私だけ生きていて、生きるためには食べるということを受け入れなければならないことが、すごく辛かったです。食べて、食べているところを家族に見せ、家族や娘が心配してしまわないよう。自分を責めてしまわないように頑張って食べた記憶があります。(Fさん)
・祝膳、ありませんでした。死産直後は食欲もなくて全く手をつけられませんでしたが、入院中のメニューが産後の方と違うこともわかり、悲しかったです。同じように対応してくれていたら、少し気持ちも違っていたのかなと思いました。(Sさん)
・祝膳、ないんだ〜と悲しく思ったことを思い出しました。病院側の配慮だったのかもそれませんが、死産であっても出産はしました。当時、とても複雑な気持ちになりました。(Kさん)
・祝膳、なかったな。今まで死産した当時のことを思い出すことも怖くて避けていたけれど、振り返って当時の気持ちを今知るという時間は大切だと思いました(Dさん)
・出ませんでした。レインボーベビーを産んだ時に、同じ病院であっても死産の時と全然違う対応に悲しくなりました。死産であっても嬉しいはずなのにと悲しかったです。対応が異なってしまうのは仕方がないこととわかっていても、辛かったです。(Sさん)
・出ませんでした。レインボーベビーが生まれたときに祝膳が出てきて、亡き息子の時とは対応が違い辛かったです。レインボーベビーを抱きながら、泣き泣き泣き泣き食べた記憶があります。(Yさん)
・生きて生まれなければ、祝膳がないんだとショックでした。産んだのには変わりないのにと思いました。祝膳という名前に抵抗があるならば、たとえば「頑張った膳」などと名前を変えて出したらいいのにと思いました。そしたら嬉しかったのかなと思いました。(Eさん)
・私は出ませんでした。普通の食事を配膳した際に、祝膳が片付けられていて、そこで「私には祝膳でないんだ」と傷付きました。病院側の配慮だったのかもしれませんが、その選択肢を与えてくれてもよかったのかなと感じました(Mさん)

思い出せない、覚えていない(10%:2名)

・祝膳が出たか、思い出せません。食事について覚えていることは、他の人と同じ量を食べることへの罪悪感です。これは我が子のために母乳を作ったり、お世話のために体力を回復させなければいけないお母さんたちの摂取量という意識がもてないなくて毎回残していました。(Nさん)
・そういえば私はどうだったのだろう。覚えていないことに今になって気づきました。でも、出ても出なくても気持ちは複雑だったと思います。(Sさん)

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