人工妊娠中絶

STORY3 高齢妊婦ならほとんどの方が受けるものだと思っていた「出生前診断」。ダウン症と判明したわが子が教えてくれたこと

プロフィール

Gさん/1982年生まれ。会社員中間管理職。 
インタビュー時:人工死産後3ヶ月 

#選択的シングルマザー #戦略的シングルマザー #高齢妊婦 #出生前診断 #新型出生前診断 #NIPT #染色体異常 #21トリソミ―  #ダウン症 #胎児ホットライン

STORY

シングルマザーとしての人生を決意したGさん。
子どもが欲しくてこの道を歩んだつもりが、想定外の結果に苦悩。
Gさんの経験と思いを綴ってくれました。

周囲の話題は仕事から家庭へとシフトし、私だけが取り残されてしまったような感覚でした。

同僚や友人が次々と結婚し、子どもが生れ、家庭をもつ人が私の周りで増えていきました。ある日、友人同士で集まった際の話題は、仕事のことというよりも、家族や子どもの話で盛り上がっていることに気づきました。そんな友人たちの話を聞いていると、家庭を持つ女性がとても魅力的に感じるようになりました。

そもそも、”選択的シングルマザー”を決断した、決断できた理由にはどんなことがありますか? 

理想はパートナーがいて、子どもがいてという、ごく一般的な家庭を望んでいました。しかし、婚期を逃したと言ってもいいと思うのですが、30代前半までは、仕事に没頭していました。仕事が楽しくて、仕事を何よりも優先していました。いずれはパートナーはできるだろう、どうせ結婚できるだろうと思っていました。 でも気づいたらいい年になっていましたよね(笑)。年齢が40歳にもなると逆算するんですよね。今からパートナーを探して、それも付き合ってどれくらいの期間が経てば結婚できるかなど、でもその付き合った彼と確実に結婚できるという保障がないまま付き合うのものリスクがあると言うか、そう考えていました。私には時間が自由にあるわけでもなく、結婚するまでの過程に時間がかかると思ってしまったんです。恋愛や婚活に時間を割いている暇もないと言うのも事実でした。そんな焦りから、結婚は50~60歳になってからでもできるのではという考えになりました。自分は今何がしたい、というより今しかできないことを考えると、やはり年齢的なリミットから「子どもを授かる」ことだと確信しました。

そこで、私のようなシングルマザーの方が現代なら多いのではないか?とネット検索してみました。そうしたら、”選択的シングルマザー”、”戦略的シングルマザー”というワードが出てきました。シングルマザーやLGBTなどのマイノリティカップルが子どもを産み、育てるというブログを片っ端から読みました。その中で、私のように仕事中心で生活されてきた女性が一人で子どもを産み育てている方のブログを見つけて、これだ!!と思ったんですよね。子どもを育てるための経済的な不安は特にありませんでしたし、特に、自分のタイミングで妊娠に臨めると言うのも自分にとっては大きなメリットでした。

シングルマザーのメリットやデメリットはネットで検索すると多くでてきました。調べれば調べるほど子どもがほしい、早く育てたい、そんな気持ちが強くなりシングルマザーの道を決めました。 

シングルマザーになることを決断した後の、悩みや不安は何かありましたか?

もちろん、不安はありました。うまれてきた子どもが父親がいない寂しさを抱えたり、育児と仕事の両立は可能か、また周囲からの偏見で子どもが傷つくことが起こってしまわないかなどの不安はありました。
しかし、年齢のことを考え、子どもを授かれるのは今しかない、時期をもう逃せられない。そう思い、とうとうパートナー無しの妊娠を望むことに決めました。精子は友人の助けを借りて妊娠にのぞみました。2回ほどで自然妊娠できました。 
また、唯一の相談者は母でした。母にだけはシングルマザーになりたいと伝えていました。子どもが生まれたら、後々育児を手伝ってもらうことも予想していたましたので。母の反応はというと、驚いてはいましたが反対もせず、私の思いを受け入れてくれていたかと思います。当初は母に伝えるかさえも悩んでいました。コロナ禍でもあり、また母とは遠方に住んでいたため会うこともそうありませんでした。子どもが生まれてから伝えたらいいや、そう思っていましたが、私には妹もおり、家族の中では結婚というワードが飛び交い、もうその言葉を聞くことも飽き飽きしていたため伝えることにしました。 

 

NIPT(新型出生前診断)でわが子にダウン症が判明 

出産時には41歳になってることもあり、高齢妊婦であることは自覚していました。高齢妊婦でインターネットで調べると、すぐに「出生前診断」というワードが出てきました。高齢妊婦なら、みんながみんな受けていると思い出生前診断を受けました。 
その時は、特に結果のことなど深く考えていませんでした。自分には関係がないだろうと、そう思っていました。

結果は陽性。

ほぼ正確に診断されると言われている新型出生前診断(NIPT)の結果にはショックが大きかったですね。 
陽性という事実もそうですが、安易にこの検査を受けてしまった自分自身にもショックが大きかったです。 
お腹の赤ちゃんがダウン症という結果にかなりショックで数日間、食欲もなければ夜も眠れませんでした。ただ、当時はコロナ禍であったため、在宅での仕事が多く、同僚の目をきにせずに過ごせたことは助かったなと思っています。仕事の合間に、インターネットで「#出生前診断#NIPT #ダウン症 #中絶 」などずっと調べている自分がいました。子どもがほしくてシングルマザーの道を決断したものの、果たして自分は本当に子どもをほしかったのかも分からなくなっていました。 

胎児ホットラインでさまざまなことを教えてもらいました。娘の将来の事を考えた決断だったかと思います。

妊娠10週頃に何も考えずに受けました。その時はまさか陽性が出るなんて思ってもないじゃないですか。きっと当時は安心したかったんだと思います。自分の仕事をまもりたいという気持ち、赤ちゃんが元気で何も支障なくうまれてきてくれることを保証して欲しいと言うか、自分の評価を傷つけたくなかったというのもあったと思います。でも、結果は思ってもいないダウン症でした。 
親にはすぐに相談しましたが、赤ちゃんの心配というよりも困っている私への不安のほうが大きかったようでした。 
それから、ダウン症の子どもについてあらゆることを知べました。インターネットで検索すると、「胎児ホットライン」が出てきました。無料で相談ができるため、すぐに胎児ホットラインに登録し相談しました。そこでダウン症の子どもを育てている親の会を知りました。また、障害の子どもを育てるための支援や施設が日本では充実していることも知りました。子どもがある程度成長したら施設に預けられるなど、一生親と一緒にいなくても良いことを知り、なんだか心が落ち着きました。親といっしょにいられない子どもはかわいそう、そんな意識が薄れ安心していました。 

しかし、様々な制度が整ってるとはいえ、わが子がどの程度の障害をもってうまれてくるかも分からない。そして性別が女の子だったんです。女の子ならおしゃれを楽しんでほしい、恋愛だって、結婚だってしてほしい。そんな娘の将来のことを考えると、産んであげたいと言う気持ちよりも、産めない気持ちのほうが優っていました。

コロナ禍であったことが、ある意味救いでした 

会社には安定期に入ったら報告しようと思っていました。またコロナ禍であり、ほとんど出勤していなかったので私が妊娠していることを知る同僚はいませんでした。そのため、人工死産後はあえて上司には報告もせず、それはそれでよかったかなと思います。余計な気を遣わず、遣われずに済みました。そのため、会社にも報告していなかったため、有給や産休はなく、「出産育児一時金」※のみ取得しました。 

出生前診断の結果に悩む家族のその後の支援が充実してほしい。もし、今出生前診断を受けるか悩まれている方がいるならば、その先にあるものを真剣に考えてから受けてほしいです。

年齢的なリミットもあるため、次の妊娠もすぐに試みたいと思っています。 
しかし、人工死産後1ヶ月検診の採血でホルモンが安定していないと言われたため、まだ妊娠出来ないことを知りました。そのため今できることは、妊娠できるカラダづくりだと思っているため、葉酸サプリメントを内服する、温活、たんぱく質を意識して多く取り入れた食事にする、基礎体温を計るなどできることは行っています。 
あとは、もし次に妊娠できたとしたら、次は絶対に出生前診断は行いません。障害がある子どもであっても責任をもって育てたいと思っています。遺伝カウンセラーや医師なども話は聞いてくれますが結局は自分で決断しなければならないことです。どんな決断でもずっとその決断に悩まされると思うんです。まだまだ、私のように一人親が抱える悩みや出生前診断の結果で悩む方が多い社会だと思います。どんな結果であっても、親や家族のその後を後押ししてくれる、応援してくれる社会になってほしいです。そして婚姻関係に関わらず「子どもがほしい」と決定したときに、社会の理解がえられる世の中になってほしいと感じます。 

-人工妊娠中絶