プロフィール
ありささん/2000年生まれ
2022年1月:第一子の長男を妊娠29週5日で死産
2023年1月:第二子の次男を妊娠31週0日で出産
2024年11月:第三子を出産
#原因不明 #子宮内胎児死亡後 #抗リン脂質抗体症候群 #コロナ禍 #産後うつ疑い #神経症
突然告げられた別れ
息子の胎動が少ないことが気になり、職場の上司に相談すると、ありがたいことに1週間の休みをいただけることになりました。その間に少しずつ出産準備を進めようと、1人で出かけていた矢先のことです。その夜、主人は夜勤で不在。1人で過ごしていると突然お腹が痛み、出血がありました。すぐに病院と母に電話をし、タクシーで病院へ向かいました。当直の医師に内診をしてもらうと、信じがたい言葉を告げられました。「赤ちゃんの心臓が止まっています」と。
あまりにも突然のことで頭が真っ白になり、涙が止まりませんでした。医師は1時間ほど私が1人でいられる時間をくれました。その間に父や母、主人へ電話をしました。父は出張中でしたが、母と義母が駆けつけてくれることになりました。
現実を受け入れられないまま陣痛に
これまでの妊婦健診での経腹エコーでは何も問題がなかっただけに、現実を受け止めきれませんでした。病院の方針では、原因不明の死産の場合は地域の周産期センターで詳しい検査をするそうなのですが、この時はコロナ禍まった中。死産原因を調べるための胎盤を病理検査に送るなどの検査ができないと言われました。死産の原因を調べられる項目に限りがあるため、転院を勧められ、私はすぐに転院をお願いしました。その日が、土曜日だったため、月曜日からの入院を予定し一旦退院しました。ところが、その日の午後に陣痛が始まってしまい、元々通っていた病院へ再び緊急で受診。そのまま転院先の病院に入院となりました。
主人も同席の中で出産
陣痛室では1人で陣痛に約14時間ほど耐えました。子宮口が6センチまで開いた時、ようやく主人の入室が許可され、一緒に分娩に望むことができました。その1時間後に破水し、10分ほどで息子が生まれてきました。
助産師の寄り添い
産後、病院のスタッフの方々は、息子の手形・足形を取ってくれたり、身長や体重を測って記録してくれたりと、少しでも思い出を残せるようにと寄り添ってくださいました。その気遣いに当時もですが、今でもどれほど救われたかわかりません。
さらに、病院では死産の原因を詳細に検査してくるよう努めてくれていました。
普通かもしれないけれど
火葬の空きがすぐ取れなかったのもあり、退院後4日間息子と一緒に過ごすことができました。目の前に寝ている息子を見ると、まるですやすやと眠っているかのようでした。私も主人と長男と3人で普段と変わらない時間を過ごしました。沐浴したり、お散歩に連れて行ったり、息子のために準備してた服を着せたり。家族3人で一緒に寝たり、写真を撮ったり、パパとママの思い出の場所の写真を見せたり。普通かもしれないけど、普通って幸せなんだなと実感しました。
息子の死と向き合うということ
息子を見送ってから、何度も自分で命を経とうとしました。正直まだ長男がいなくなった現実を受け止めきれていませんでした。町で見かける赤ちゃんや妊婦さんがすごく憎かったです。赤ちゃんも妊婦さんも誰も悪くないし、人それぞれ苦労をしているとわかっているつもりでしたが、「なんで自分の子はいなくなったのにあの人は妊娠してる」「あの赤ちゃんは生きてるのに、私の赤ちゃんは生きていない」と憎しみや嫉妬のような感情に苦しみました。このどうしようもない気持ちを、家族に打ち明けても「そんなふうに思わなくてもいいよ」と言われ、理解されない孤独がありました。そのため、この感情をどこにぶつければいいのかわからず、辛かったです。
けれど、何を言われても息子に会いたいから死にたいとしか思ってなかった私が、「今は少し遠くにいるだけで、いつか絶対また会えるから」と友人が声をかけてくれたおかげで、少しだけ前に向けているような気がします。 いつかきっと息子に会える、また私のお腹に来てくれるんじゃないかっていう希望だけが私の生きる力になってると思います。
家族のサポート
産後1週間は義母が家で家事やら身の回りのお世話をしてくれ、その後1週間は実母が来てくれました。 産後3週間での検診で、産後うつの疑いがあると言われ、その後、神経症※1と診断されました。夜1人でいるとどうしても自分で命を経ってしまいそうな精神状態でした。産後は、消防官の主人は夜、家に居れる日勤に異動してくれて毎日一緒にいてくれるように配慮してくれていました。 主人が日勤に異動するまでの出勤の日は、近くに住んでいるいとこや叔母たちが交代で来てくれて一緒にいてくれました。 ほんとうに今私が生きているのは家族のサポートに助けられたからだと思っています。
※1神経症:みんなの家庭の医学・神経症(ノイローゼ)とは、ストレスや心配、不安など、継続する心的な要因があって発症します。不安障害(不安神経症)、強迫性障害(強迫神経症)、ヒステリー性神経症(解離性障害)、心気症、気分変調障害(抑うつ神経症)と分類されている。
息子の存在
息子との別れは、今でも忘れることはできません。それでも、病院の方々の支えや、家族の存在、そして残された思い出があったからこそ、少しずつ前を向くことができました。
⚠️いのちのSTORYは、当事者の実体験を記しています。そのため、なるべく当事者の言葉をそのまま使用することを重視しています。
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