死産・人工死産

STORY11 第一子死産から4年。悲しみや後悔も全部丸ごと抱きしめて生きていきたいという気持ちになるまで

プロフィール

M.Mさん/20代後半
2019年3月:第1子(長男)妊娠29週2日子宮内胎児死亡による死産
2020年:第2子(次男)出産
2021年:第3子(長女)出産
インタビュー時:死産後4年

#子宮内胎児死亡 #死産 #臍帯捻転 疑い

あの時きいた心音は、息子が生きている最後の姿でした

妊娠29週。お腹も大きくなってきて、胎動で夜間眠れないときもあるくらい息子は、とても活発で元気な子でした。
妊娠29週1日、朝から胎動がいつもよりも感じにくいなて‥と思っていましたが、仕事中でもあったため、胎動に気づいていないだけなのかもしれないと思っていました。しかし、時々感じるお腹の張りが気になり、深夜にも関わらずかかりつけ病院を受診することにしました。病院に着き、医師はお腹にエコーを当て、とても丁寧に診てくれました。エコーをいろいろなところに当てて異常がないか診てくれました。心臓はしっかり動いてくれて、安心しました。でも胎動は、活発に動くというよりもビクッとしか感じませんでした。医師は「気になるところはありません。明日もう一度受診してください」と言われ、一旦帰宅しました。もちろん、その時きいた心音が、息子が生きている最後の姿になるとは思ってもいませんでした。

心音は聞こえてくることはありませんでした

翌日、朝から病院へ行きました。病院に着くとすぐ、心音を確認するノンストレステストをしてくれましたが、心音がなかなか聞こえてきませんでした。その後、診察室に案内してもらい、エコーをお腹に当てると、やはり心音は確認できませんでした。医師からは「とまってしまっているね」と言われました。医師は色々と説明してくれましたが、頭の中は真っ白で何を言われたのか全く覚えていません。泣くこともできないくらい、現実を受け入れずにいました。そんな私を、付き添ってくれた主人が肩を抱いてくれていました。これはきっと夢だよねと自分に言い聞かせていたのは覚えています。
その後、助産師の声かけにより、個室に移動しました。「突然のことだから、ゆっくり今後のことを考えてもいいんだよ」と助産師が言ってくれ、主人と二人きりになった途端、これが現実なんだと徐々に分かってきて、大粒の涙がこぼれてきました。
 助産師からは、「今日の午後から入院し、3日間かけて子宮口を広げる処置をし、普通分娩と同じように赤ちゃんを出産します」という説明を受け、一度自宅に帰ることにしました。

出産は息子に早く会いたいという気持ちで望めました

私が案内された病室は、産科病棟ではなく、産科病棟と同じ階にある婦人科の1番奥の部屋でした。
助産師からは、「 赤ちゃんにしてあげたい事があればなんでも言ってね」と言われました。しかし、初めて望む出産でもあったため、出産後の赤ちゃんに何ができるのか、どう過ごせるのかなどわかりませんでした。そこで、スマートフォンで#死産 #お別れ などと検索すると、死産などで赤ちゃんを亡くされた方のブログが出てきました。私よりも以前に赤ちゃんを亡くされた方が、亡くなった赤ちゃんを出産するということはどのような経験となったのか、出産後の赤ちゃんとどんなことをして過ごしたのかを記載してくれていました。これまでは、亡くなった息子を産む恐怖や、ラミナリアの処置の痛みで出産というものがとても苦痛でした。しかし、調べれば調べるほど、息子と過ごす時間を後悔なく過ごしたい、早く息子に会いたいという気持ちへと変わってきました。できることは全てやりたい、とにかく早く会いたい、早く産んであげなきゃと言う気持ちに変わっていきました。
 陣痛促進剤投与してから5時間後、体重1000g、身長40㎝の息子は産声をあげることなく生まれました。おめでとうの言葉はなく、主人の泣き声だけが響くさみしい出産でした。しかし、私にとってはやっと会えた喜びの気持ちでいっぱいでした。

入院中の息子との時間

助産師が、小さな箱で眠っている息子を連れてきてくれました。抱っこした時は、まだあたたかくて、まるで眠っているかのようでした。ただただ、その顔は可愛くて、愛おしくて、できることならまた、お腹の中に戻してあげたいと思いました。
3日間の入院は、息子と主人と3人でゆっくり、穏やかな時間を過ごしました。助産師からの特別なサポートというものは特になかったかなあと思いますが、病院側の配慮で、個室で過ごせ、産科病棟からも離れていたため、無事に生まれた赤ちゃんの泣き声を聞くことがなく過ごせたのは有り難かったです。また、助産師は、死産した母親としてではなく、分娩を終えた一人の女性として接してくくれたことがとても有り難かったです。
 息子との時間は、とにかくできることは全てやってあげたい。という気持ちでいたため、手形・足型を取ったり、抱っこや絵本を読んで過ごしました。準備していたお洋服は、着せてあげることはできましたが、(硬直して)とても着せずらかったです。また、顔の色も徐々に変わっていくことも知らなかったので、いいお顔で用意いたお洋服を着せて写真を残したかったという後悔が残っています。

辛い経験を話せる友人のおかげで、明るい私でいられました

死産直後は、人生のどん底を味わった気がします。しかし、出産を終えて息子と過ごす時間の中で、息子が生まれてきた意味を見出すことができたように思います。妊娠29週でのお別れは、他人からしたらとても短い人生に感じるかもしれません。しかし、息子は息子の人生を全うするために来たのかなと思えるようになりました。 このように思えるようになったのは、出産のことや息子のことを誰かに話したい、聞いてほしいという気持ちが高まってきた時に、私のどんな想いも受け入れて丁寧に話を聞いてくれた友人がいたからだと思っています。息子の誕生を楽しみにしてくれていた友人に、死産したことを伝えるか、どのように伝えればいいのかも初めは悩みました。しかし、どんなことも隠すことなく話す事、蓋をすることなくオープンな私でいた事が、産後の精神状態を保つためには必要であったと感じています。

悲しみや後悔も全部丸ごと抱きしめて生きていきたい

死産から4年経った今でも、悲しみや後悔がなくなったわけではありません。正直、死産をしてから、私はなんて不幸なんだろうって思いました。息子の成長をこの目で見れないのは、母親としてとても寂しいことです。死産後は、自分を責めてしまうことのありましたが、そんな自分も受け止めて自分を許してあげる、それができるのは他の誰でもなく、自分しかいません。自分を許すことって難しいかもしれません。自分と向き合うことって辛いですし、苦しいことも多く、目を背けがちです。しかし、その事を丸ごと受け止めて私なんだと思えるようになり、これからも亡くなったわが子と共に生きていこと決意できました。これからも息子のいのちが無駄にならない生き方を日々探し続けていこうと思います。

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