プロフィール
高濱麻衣さん/30代前半
2017年:第一子長男出産
2019年12月:第二子次男の悠真くん出産、新生児死亡
2020年:化学流産
2021年:第三子出産
インタビュー時:新生児死亡から3年3ヶ月
#新生児死亡 #先天性心疾患 #人工心肺装置 #体外式膜型人工肺 #エクモ
産んだばかりの時は、まさか亡くなるとは思ってもいなかった
妊娠6ヶ月、妊婦健診で息子に先天性心疾患という病気が見つかりました。医師の説明では、「生まれてきてから手術が必要ですが、生きることはできます。」という説明でした。そのため、手術をすれば生きてくれる、そう思っていました。
出産は無事に終えることができ、息子はとても元気に生まれてきてくれました。母乳もぐいぐい飲んでくれて、力強くて、鼻に入っていたチューブを取ろうとして看護師さんたちの手をどかそうとして私たちを笑わせてくれていました。とても愛しくて、可愛いくて早く家に連れて帰りたいと願っていました。
その当時は、まさかこんなに元気な息子が亡くなるなんて思ってもいなかったです。
息子の生きる強さを感じることができたのは、スタッフのお陰です
息子は、出産後、急変してしまい手術にて体外式膜型人工肺(=エクモ)を装着しました。エクモは、ずっとは装着することはできず、医師の説明では「エクモをつけてから2週間で外します。」と言われていました。当時は、エクモの装着のリスクの説明を受けましたが、それよりも回復することだけを信じていました。
エクモ装着して11日目、余命宣告を受けました。その夜、病院近くのホテルに帰る時に、看護師から「お父さんとお母さんの匂いをつけてきてください」とタオルを渡されました。「人の五感で最後まで残るのは嗅覚です。薬剤で寝ている悠真くんですが、匂いはちゃんとわかるんですよ。お父さんとお母さんの匂いを感じられたら悠真くん、安心しますし、寂しくないかなっと思いまして」と。離れたくない私たちの気持ちも、息子の気持ちもスタッフの方々は全部わかってくれていました。 息子の状態は安定せず、生後1ヶ月となった時に、私の胸の中で息を引き取りました。
息子が亡くなった後、私が溜めに溜めた母乳のストックをスタッフの方はお湯に溶かしてくれて、息子を母乳お風呂に入れてくれました。息子はおっぱいが大好きで、とっても食いしん坊でした。ごくごく吸う様子を見ていると本当に病気なのかなって疑ってしまうくらい元気でした。しかし、血流に影響ができるからと言われて、入院中は授乳時間を制限されていました。かわいそうだけれど、治療だから仕方ないと割り切っていました。息子が亡くなってから、搾乳しておいた母乳をこのように息子のために使うことができたのも嬉しかったです。
実は、亡くなる寸前まで黄疸もひどくならず、浮腫みもほとんど出なかったんです。「母乳のおかげだね」っと看護師に言ってもらえた時は、私も嬉しかったですが、力強く母乳を吸ってくれた息子のお陰だと思っています。大体の子は浮腫んしまったり、黄疸がひどくなってしまう場合が多い様ですが、息子は生まれたばかりのきれいな状態で最期を迎えられました。思わず私は、「悠真、凄いよ」って誇らしい気持ちでいっぱいでした。
退院する時は、息子に関わったすべてのスタッフが見送りに来てくれて、涙を流すスタッフもいました。「よく頑張ったね」と言ってもらえた時には、嬉しくて、そして感謝の気持ちでいっぱいでした。火葬するまでの間、母乳風呂をしたためか息子はほんのり母乳のいい匂いがして、まるで生きた赤ちゃんのようでした。
病院スタッフの方々は、私や主人、そして息子が寂しくないようたくさんの思い出の時間と寄り添う時間をつくってくれました。息子の生きる力強さを間近で感じることができたのも、病院スタッフのお陰です。
できなかったことを今できるのは、遺骨ペンダントがあるから
夫はとても協力的で、悲しみを一緒に共有してくれています。息子を見送ってから遺骨ペンダントを作りました。生涯を病院のベッドで過ごした息子に、主人が「色んな景色を見せてあげたい。家族みんなでお出かけしたい」と言って、火葬の次の日に注文しました。一つあればいいかなと思っていましたが、私の分も欲しくなって、二つ購入しました。遠出はもちろんですが、近所へ買い物いく際も必ずつけて行きます。元気に産んであげられなかった後悔は今でもありますが、このペンダントを身に付けていると息子をおんぶしている感覚になります。日向ぼっこして「あたたかいね」と話しかけたり、なでなでしてみたり。できなかったことをしてあげられる幸せを、今感じています。
息子の人生の目的に気づくことができました
息子の病気を知った時、全てを受け入れる覚悟でいた私。まさか、息子とのお別れが待っているなんて思ってもいなかったです。やっぱり、今でもこの運命を憎んでしまいます。
しかし以前、天使ママ(天使ママ:何かしらの理由で子どもを亡くした母親)と話した時があり、その方は「人生は暇つぶしなんだよ」と言っていました。そう聞いてから、「もしかしたら息子はちょっとママやパパに会えたらいい、人生の目的はママとパパにちょっと会うこと」だったのかもしれません。他人からしたら、たったこれだけのため?と感じてしまうかもしれませんが、これが息子の一生だったのかもしれないと思えたことがありました。残された私たちはとても悲しいけれど、こう思えるようになったら、私は私の人生をハッピーに、人生を充実させたいと自然に思えるようになりました。そして、「ママ、こんなに楽しい人生だったよ」と笑顔で息子に会いたいと思っています。