プロフィール
usagiさん/ 1995年生まれ/会社員
2023年1月:第一子長男、妊娠37週1日で死産
インタビュー時:死産から11ヶ月
#死産 #臨月死産 #第一子 #無痛分娩 #臍帯卵膜付着 #体外受精 #帝王切開
出産時にわかった「臍帯卵膜付着」という疾患
妊娠37週の妊婦健診では、息子の推定体重が2800gを超えていました。そのため、いつ産んでもいいという医師の判断で、計画無痛分娩の選択をしました。入院前日は、落ち着かず入院に必要なものを確認したり、ストレッチをしたりして過ごしていました。
翌日入院し、処置をしましたが子宮口はなかなか開きませんでした。その後、息子は急激な心拍低下により帝王切開に切り替えられました。帝王切開の際に卵膜上を走行していた血管が傷がつき、息子は失血性ショックとなり、お腹から出るその瞬間に息を引き取りました。産後の胎盤病理結果より臍帯卵膜付着※という疾患だったことがわかりました。
※〈参考・引用〉臍帯付着部異常とは:日本産婦人科医会では 正常な臍帯が胎盤実質に付着していない場合を臍帯付着部異常という。辺縁付着、卵膜付着、前置血管がある。卵膜付着は、臍帯が卵膜に付着し、ワルトン膠質を有さない脆弱な臍帯血管が卵膜上を走行する場合である。卵膜付着は、卵膜血管が子宮収縮(陣痛)や胎児からの圧迫をうけ、臍帯血流の循環障害を起こし、胎児の低酸素などの異常と関連する(胎児機能不全)。卵膜血管は脆弱であるため、時には破水時に断裂することもある。
臍帯付着部異常(辺縁付着・卵膜付着・前置血)
原因の受け入れについて
まだ、原因の受け入れはできていません。明日には息子を抱いている自分を想像していたので、死産直後は、現実を受け入れるのに時間がかかりました。また、術後せん妄であったようで、自身で呼吸が難しい状態に陥り、私も息子と一緒にお空へゆくんだなという感覚になりました。涙もでこない、何も考えられない、そんな感覚でした。その後は、「なんでうちの子なのか」「なんでうちの子でなければならなったのか」という感情になり、この疾患について調べて、同じ疾患になった人はいなかったか、など検索魔になっていました。
息子は救えたいのちだったのではないか、なぜ救ってくれなかったのかと、怒りの感情が担当した医師に強く向いていました。この感情をどのようにしたら良いのかわからず、周囲に相談できる人もいませんでした。そのため住んでいる市の福祉課へ相談しました。もし、出産前の検査で臍帯の異常と分かっていれば、このような結果になっていなかったかもしれないということを知った時、担当した医師の処置には納得できていないところが未だに多々あります。
壮絶な出産。息子を抱きしめると、可愛くて、愛おしくて、離したくない気持ちでいっぱいでした
お腹から取り上げられた息子には、私のすぐ近くで蘇生するための機械の音がしていました。医師は「早くしろ!」と絶叫、緊迫した空気が流れていました。息子がどうなったのかと周囲のスタッフに聞いても、だれも問いかけに答えてくれず不安な時間を過ごしたのは覚えています。次に私が、目を覚ましたのは、帝王切開から3時間ほどが経過した時でした。息子はもうこの世にいないんだと悟りました。その後、息をしていない息子に会い、息子を優しく抱きしめると急に愛おしい気持ちが湧いてきて、涙が溢れてきた。これが母性なのかと。やっと会えた息子、こんない可愛くて愛おしくてたまらないのに、あと数日でお別れしなければならないことを思うと胸が引き裂かれそうでした。死産直後は、放心状態で、現実に起きてしまったことを受け入れるのに必死でした。これ以上自分たちの心が崩れてしまわないよう、「たられば」になることは考えないように、私も、特に主人は毅然と振る舞っていました。息子のために何かできることがあることさえも、考えることができませんでした。しかし、息子がこの疾患(臍帯卵膜付着)にもかかわらず、妊娠37週まで何も問題なく大きく育ってくれたことが幸せでした。しかし、息子を見送り、少し落ち着いた頃、ネットでいろいろと調べていると、看護師さんたちが寄り添って亡くなった赤ちゃんと色んな過ごし方をしている家族もあることを知ると、自分たちは、できることがあまりなかった、病院のスタッフはほとんど介入がなかったことに、さらに傷つきました。コロナ禍の出産のため、本来なら家族の面会は禁止されていましたが、病院の許可がおり主人も一緒の病室に泊まっても良いことになりました。本来、帝王切開なら7日間の入院が必要でしたが、病院にいるのも辛かったため5日間と短縮してもらいました。
主人のお陰で、息子はきれいな姿で見送ることができました
息子が生まれたのは兎年だったので、うさぎのコスチュームを病院に持参していました。生まれて早々に元気なら写真を撮ろうと思っていたからです。写真を撮ることも病院では許可が必要でしたが、病院院長からの許可をもらい、息子と主人と3人で写真を撮ったり、息子にうさぎのコスチュームをきせて記念写真を残せたことは嬉しかったです。
私は帝王切開でしたので、死産届けなどの書類提出や火葬場の手配など、すべて主人がやってくれました。私が、まだ入院中でもあったため、息子の火葬も主人一人で行ってくれました。辛かったと思います。主人は、私がいないところで(病室の廊下)泣きながら誰かに、電話をかけていたのを覚えています。私を支えないとという気持ちが強かったのだと思います。息子が綺麗な状態のままお別れすることができたのは主人のおかげです。
息子は、いつもポカポカあたたかい存在でした
寂しがりやの私のところに1人じゃないよって教えにきてくれたんだろうなぁって思います。息子がお腹にいた時は、言葉は古いけど「ニコイチ」という言葉がまさにしっくりくるなぁと思っています。ネガティブで寂しがりやの私にとって息子の存在はいつもポカポカあたたかい心を強く持てる存在でした。
帝王切開の傷は、息子がお腹にいた証でもあります。あの時の痛みとこの傷を残してくれた息子に感謝しています。
自分の気持ちに素直になって思いっきり泣く
この悲しみは乗り越えるのではなく、心に刻んでいくものだと思いました。忘れる必要はないと思っています。たくさん涙を流すことは恥ずかしいことでも情けないことでもなくて、愛情がある限り、悲しんでいいと思っています。この悲しみは消えることないと思うし、息子を愛してやまない自分の気持ちに素直に悲しいときは思いっきり泣く、それでいいと思っています。
目の前にある現実に尊さを感じて欲しい
子どもを亡くした親を一概に可哀想だと決めつけないでほしいです。私が、息子を亡くしたことは悲しい経験でしたが、かわいそうと決めつけないでほしいです。私が息子を授かり、共に過ごした10ヶ月間は、とても幸せな時間だったからです。
起きてしまったことは、一つ一つが「たられば」の積み重ねです。一瞬一瞬を大切にしていただきたいです。目の前にある現実に尊さを感じられるようになってほしいです。当たり前の明日はないんだと。
赤ちゃんを亡くされた方へのメッセージ
悲しみは消さなくていいんです。周囲の人は、子どもを亡くした経験のある人と同じ様に悲しんではくれないかもしれません。励ましの言葉にですら傷つくこともあります。自分自身は頑張ろうとせずにただ悲しみに目を背けずに、自分の気持ちに素直になって赤ちゃんのことを思う時間をたくさんつくってください。いっぱい泣いてそれでもきっと涙は流れると思いますが、そうしていく中でいつかきっと亡くなった赤ちゃんとの向き合い方、愛と悲しみへの自分なりの向き合い方を見つけることができると信じています。痛みを感じてつらくても向き合い続けて心に刻んでいくことが、答えを見つける近道なのかなとも思っています。
妊娠中の検査について
今現在妊娠されている方もですが、医師・助産師などの医療従事者のかたにも、この「臍帯卵膜付着」という疾患についてもっと知ってほしいです。
この疾患は、分娩前の診断の重要性と陣痛発来や破水が起きる前の帝王切開の必要性が強調されています。この妊娠20週前後で行う胎児スクリーニングのチェック項目に、この臍帯付着部の異常の項目が組み込まれているので、妊娠中の方は胎児スクリーニング検査を必ず行って欲しと思います。
参考:NPO法人SIDS家族の会H P、昭和大学病院・産婦人科 長谷川潤一、死産を少なくするために
http://www.sids.gr.jp/umbilicalcode.html