流産

STORY14 生まれてくるわが子をどのように迎えたいかを家族で話し合いました。私たちらしい、笑顔で迎えよう、そう決めてから。

プロフィール

あーちん/1990年生まれ
2018年:第一子出産
2021年5月:第二子長男、絨毛膜羊膜炎ステージⅢにより後期流産(妊娠21週)
インタビュー時:後期流産から2年7ヶ月
#絨毛膜羊膜炎 #子宮頸管縫縮術 #後期流産

原因は、「絨毛膜羊膜炎」でした

安定期を迎えてすぐの、妊娠16週5日。腹痛、出血があり約1ヶ月間入院となりました。入院中に子宮頸管長が短かったため、子宮頸管縫縮術をしました。出産後にわかったのですが、流産の原因は絨毛膜羊膜炎※を発症していたことでした。お腹の張り・出血が続き、毎日危険と隣り合わせの中、あと1週間したら妊娠22週となり「早産」になると喜んでいたところでした。しかし、妊娠21週1日に突然の破水。子宮収縮を抑えるリトドリンなどの投与量が限界を迎え、医師からは「諦めないとならないです」と説明を受けた。私は頭が真っ白になりながらも、すぐに駆けつけてくれた夫と上の子と、もう一度医師現状を説明してもらいました。

※絨毛膜羊膜炎とは:ユニ・チャーム国立成育医療研究センター産科医長久保隆彦先生によると、内の細菌が子宮の入口より上行性に感染して、卵膜に炎症が起きること。絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)は、妊娠中期以降におこることが多く、感染が進行すると子宮収縮が頻回になり、破水、子宮頸部熟化(子宮の入口が柔らかくなる)をおこし、子宮口が開き、早産を引き起こす原因となる。また早産の約半数がこの絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)が原因だと言われている。症状は、自覚症状が現れない人から、発熱、下腹部痛、悪臭のあるおりものなどの症状が出る人など様々です。確実な診断は、胎盤を病理検査に出すことで可能になります。https://jp.moony.com/ja/tips/pregnancy/pregnancy/trouble/pt0262.html
日本産婦人科学会:httpshttps://www.jaog.or.jp/lecture/31-ジャンプアップ7(感染)/

家族で過ごした4日間

息子が生まれてくるまでの少ない時間の中、夫と上の子と3人でどのようにこれから生まれてくる子を迎えてあげたらいいのか、どのように迎えたいのかを話し合いました。私たちらしい、前向きで、悲しむのではなく、生まれてきてくれてありがとうと笑顔で明るく迎えてあげようって私がいうと、家族も同意してくれました。
その2時間後には、本陣痛になり分娩室へ向かいました。子宮頸管縫縮術で縫った糸を切った瞬間、するっと生まれてきてくれました。生まれてきた息子は、手足を動かし懸命に生きていました。とても小さいにもかかわらず、手も足もすでに人間のかたちでした。
1時間ほど経過した頃、徐々に身体が冷たくなっていき、私の胸の上で息子は息を引き取りました。入院していた病院はグリーフケアにとても熱心でした。主人に優しく沐浴を指導してくれたり、手形足形を取り、家族3人の写真も撮ってくれ私たちの希望することを叶えてくれました。退院時は、手紙をくれる助産師さんもいたり、私をギュッと抱きしめてくれれた助産師さんもいました。息子が生まれてきてくれた後は、退院するまで同じ病室で息子と一緒に過ごしました。とてもあたたかな気持ち過ごせました。あの時、笑顔で明るく過ごそおう、と家族で決めたことを病院の助産師さんたち皆さんも、私たちの思いを受け入れてくれたため、あたたかな入院生活を息子と過ごすことができたと思っています。
退院してからは、息子を連れて家族揃ってお宮参りへ行きました。それと海にも行き、家族で花火もしました。自宅周辺をお散歩もしたりして、本来ならしていたであろう日常を過ごしました。


夫と周囲の人たちに支えられていました

上の子もいたため、退院後に亡くなった息子を自宅に連れて帰ることにしました。私は、1ヶ月近く寝たきりの入院生活だったため、足腰の筋力が弱まっているのを感じました。少し歩くのもやっと、何をするにも時間がかかりました。久しぶりにあった上のことたくさん遊びたいのに、体が追いついていかない、そんな感覚でした。自分の胸やお腹を見るとまだまだ妊婦だった時のままで見るのが辛かったです。
 息子を見送ってからは、妊娠生活をゆっくり振り返る時間もあったため、自分を責めてしまうことも多々ありました。「無理したのがいけなかったのかな」「あと1週間生まれてくるのが遅かったら、何か違ってたかな」と考えてしまうこともあり、涙が止まらなくなってしまった時もありました。
夫は、私以上に悲しんでいる様子でした。男性はあまり感情的にはならないイメージでしたが、夫はよく涙を流していました。私の親友は、私の思いに寄り添ってくれて、私が息子のことを話すと、一緒に泣いてくれた時は、嬉しかったです。。

存在はしていなくても、ずっと傍にいてくれている、そう感じています

見送った息子の存在はなくても、目に見えなくても、ずっと私たちの傍に居てくれていると思ってます。
そのため、今は自宅のリビングに骨壷と遺骨ペンダントを置いています。出かける時は、主人も私もこの遺骨ペンダントを身につけて出かけます。

赤ちゃんを亡くされた方へのメッセージ

どん底で苦しかったけど、今、家族のおかげで笑顔で過ごせてます。本当なら経験したくなかったことですが、この経験から得られた事も沢山ありました。息子に感謝しています。深く悲しんで、後は自分のペースで無理なく過ごしてください。

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