死産・人工死産

STORY16 息子は私たちに大切なことを気づかせてくれました

プロフィール

奥澤愛さん/1989年生まれ
2022年:第一子、妊娠9週で流産
2023年9月:第二子男の子、妊娠36週で常位胎盤早期剥離により死産
インタビュー時:死別から3ヶ月
#常位胎盤早期剥離 #子宮内胎児死亡 #臨月死産 

突然の発症、緊急搬送・緊急帝王切開での出産でした

妊娠36週、21時ごろ突然の腹痛から始まりました。下痢と嘔吐が止まらなくなり、時折意識を失うことがあった為、通院していた個人病院へタクシーで向かいました。個人病院に着くと直ぐに医師がきてくれ、経腹エコーをすると赤ちゃんの心拍がないと診断されました。母体も危ないと言われ、総合病院へ緊急搬送となりました。総合病院到着後は、太ももの付け根から採血されたり、コロナ感染症の検査をしたりしていましたが、詳しいことは覚えていません。とにかく、医師や看護師などがドタバタしていたことだけしか。採血の検査結果次第では帝王切開ではなく通常分娩にできるかもと言われました。しかし、寒気、手足が震え、汗が止まらなく、腹痛も限界だったこと、この状態では自然分娩をするのは難しいと判断され、全身麻酔による緊急帝王切開で息子を出産しました。

息子と過ごした3人の時間は幸せな時間でした

出産後、産科病棟の個室に移動しました。帝王切開での出産だったため、入院は7日間という説明でした。しかし、赤ちゃんの泣き声や抱っこしているお母さんがたの姿を見るのは辛いと伝えると、入院期間は7日でしたがそれでも早い期間で退院させてもらえたと思います。入院中は面会制限がある中で、主人と実親と義両親が毎日面会に来てくれました。両親たちは、特に私たち夫婦を励ますでもなく、みんなで息子を囲んで、いろんな事を話せたことが楽しかったです。
 出産後、息子は病棟で預かってもらっていました。しかし、個室というのもあり毎日病室に息子を連れてきてもらうことにしました。病棟の看護師(助産師)からは、「何かやりたいことなどがありましたら、おっしゃってくださいね」と声をかけてくれていましたが、子どもがいない私たちは、生まれたばかりの赤ちゃんに何ができるのか、病院の中で出来ることは何があるのかも分かりませんでしたし、あれもできる、これもできるなんて、思いつかなかったんです。そのため、毎日毎日息子を抱っこして、話しかけ、写真や動画をたくさん撮りました。主人と息子の3人の時間をゆっくりして過ごしていました。今思えば、いろいろと出来ることもあったのかもしれませんが、私たちにとっては幸せな時間でした。産後5日目に火葬が決まったので、私は外出許可を得て火葬に行きました。

息子は大切なことを気づかせてくれました

私が天使ママになれたことの意味を考えました。きっとたくさんの人が経験していることでは無いと思うので、なぜ自分が天使ママに選ばれたのかを考えました。そうすると息子を失った代わりに得たこともたくさんあることに気づきました。家族との絆・自分自身が子どもを持つことへの希望です。このようなことを気づかせてくれた息子には心から感謝しています。

息子が教えにきてくれたこと

近しい家族(主人や親)と自分を大切にすることを教えに来てくれたと思っています。 臨月に入れば当たり前の様に生まれてくると思っていましたが、私の息子は元気に生まれてきませんでした。自分が思っていたことが覆され、 自分の存在や価値さえ否定された様に思えましたし、必ず来ると思っていた未来が来ない絶望感で憔悴していました。そんなとき、主人が「9ヶ月間ひとときも離れずずっと一緒にいたあなたの方が辛いやろう」と言ってくれ、きっと私と同じ様に辛いはずのそばに居て、私WO気遣ってくれていました。主人はすごく励ますでもなく、今まで通りの生活をしつつも、いつも隣にいてくれたことが嬉しかったです。 その嬉しさと同時に、こんなに素敵なパートナーがいるのに、居てくれることが当たり前でいつも私は自分中心な言動をしていたなと反省しました。 元々主人とはそれなりに仲良くはしていましたが、小さな口喧嘩は耐えませんでした。ただ、死産以降はお互いが相手に寄り添って発言できる様になり、主人と共に過ごす時間が平和になり楽しいです。 また、私は我慢するクセがあり、早剥が発症したときも腹痛をギリギリまで我慢していました。自分のカラダの声にも正直になろうと思います。 この2つに気づけたことは私にとって本当に大きく、息子がこのことを教えにきてくれたんだと思っています。

悲しみ方は「泣くこと」だけではない

悲しみと向き合うために意識したことは得にありません。
死産直後は誰とも会いたくなくて、ずっと家に引きこもっていました。しかし、その引きこもっていた期間で、気持ちが落ちるところまで落ちることができましたね。「泣きたい時は泣けばいい」と友人や家族は言ってくれましたが、私は泣いて気持ちが整ったり、スッキリするわけではなく、流した涙の量だけ気持ちが落ちていくのがわかったので、自分は泣かない様に忙しく生活する方が、私の悲しに方には合っていました。そのため、死産後の1ヶ月半ほどで復職しました。仕事をしていても息子のことを考えない日はありませんでした。仕事をして頭を忙しく動かしている方が私には合っていて、気持ちがどん底まで落ちる日がなくなりました。あと、大切だなっと思ったことは、元々のルーティンを崩さないことだと思っています。今まで培ってきた生活が皆さんもあると思うのですが、その生活を乱さないということです。

天使ママや天使パパへ

一つだけ言えることは、「あなたはひとりじゃないよ」ということです。

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