死産・人工死産

STORY17 亡くなった次男のことを、いつでもどこでも想い続けています

プロフィール

聖音ママさん/1989年生まれ
2010年3月:第一子長女出産
2016年2月:第二子次女出産
2019年2月:第三子長男出産、妊娠中に妊娠高血圧症候群発症
2020年10月5日:第四子次男出産、29週3日常位胎盤早期剥離で死産
インタビュー時:死別から3年2ヶ月
#常位胎盤早期剥離 #子宮内胎児死亡 #死産 #妊娠高血圧症候群 #突発性拡張型心筋症 #産後うつ

ズキズキする腹痛

妊娠28週にズキズキするような腹痛があり、かかりつけ医に受診しました。病院に着くと医師が直ぐに診察してくれて、お腹の子は元と言われたため一度自宅に帰ることになりました。しかし、自宅に着くと股から何だか温かい水が流れてき、嫌な予感がするなと思い下を見ると、鮮血がたくさん流れていました。かかりつけ医に直ぐに連絡し、再度受診しました。病院に着くと立ち上がれないほどの腹痛と大量出血のため、車椅子で診察台まで連れて行ってもらいました。医師が診察すると、お腹の子の心拍ががありませんと告げられました。かかりつけ医では対応ができないと言われ、直ぐに大学病院へ緊急搬送してもらいました。そこでも、お腹の子の心拍がないことを説明され、緊急帝王切開となり出産をしました。私はICUへ入室し、その2日後に産科病棟の個室に移動となりました。

「息子に会えないままだったら絶対に後悔する」と思ってから

出産後、次男に会いたい気持ちはありましたが直ぐに会う勇気がありませんでした。でも、会えないままだったら絶対に後悔するって思ったんです。勇気を出して看護師に会いたいことを伝えました。次男に会ったとき、小さかったのですがとても可愛いかったです。その後は、次男は看護師に預かってもらい、連れてきてほしい時だけ病室に連れてきてもらっていました。病院経由で火葬する日程が決まると、次男と過ごす時間が急に恋しくなり、このままだと絶対に後悔すると思ったため、次男を病室に連れてきてもらい、看護師には預けず母子同室で過ごすことにしました。この同室の間は、次男の背中には保冷剤を使って冷やしていましたので、その保冷剤を交換したり、病院で準備してくれていた折り紙でおもちゃを作ったり、手形・足形を看護師と一緒にとったり、沐浴も看護師に手伝ってもらいながら入れることができました。また、病院に何着か産着の寄付があり、長女に選んでもらったりもできました。

会ってほしい人に会わせることもできましたし、家族でお世話もできました

火葬日が決まり、次男も一緒に退院しました。病院から自宅までの間を家族6人でドライブしました。本来なら、次男が大きくなったらお世話になったであろう保育園(上の子どもたちがお世話になっている)の前を通ると、私はどうしてもここの保育園の先生方に次男に会ってほしいという気持ちになりました。でも、押し付けになってしまわないか、先生方の反応はどうなのかと不安もありましたが、ここで先生方に会ってもらわないと私が後悔してしまうと思ったんです。そして、保育園に電話すると「いいですよ」とお返事してくれたので、次男に会ってもらいました。そしたら、先生方は「かわいいね、小さくてかわいいね」と声を揃えて言ってくれて、とても嬉しかったです。本来息子も通わせるつもりであった保育園だったので、次男もお姉ちゃん、お兄ちゃんたちと同じ保育園へ行けたねという気持ちにもなれました。
 自宅で過ごした2日間は、長女が折り紙を折ってくれたり、母乳を絞ってガーゼに含ませて口元に当てたり、沐浴もしました。お手紙も持たせることもできましたし、液体ミルクを棺の中にいれることもできました(プラスチック製の小さな容器に入れて)し、主人が買ってきてくれた新生児用のお洋服はブカブカでしたが着せてあげることもできました。自宅で過ごした家族6人の時間は、2日間と短い時間でしたが息子のための時間を過ごせたと思っています。

眠れない日々が続き、診断されたのが「産後うつ」

実は、産後直後から夜間眠れない日が続いていました。そのため、入院中に睡眠導入剤を処方してもらい内服していました。産後1ヶ月検診では産後うつの中等症※1と診断されました。今現在も眠剤を内服しています。また、息子の出産時に、突発性拡張型心筋症※2であることもわかりました。

〈※1参考〉
・日本産婦人科医会:産後うつとは、気分の落ち込みや楽しみの喪失、自責感や自己評価の低下などを訴え、産後3か月以内に発症することが多いです。マタニティブルーズが通常は1-2週間でおさまるのに対し、症状は2週間以上持続します。
日本産婦人科医会
日本うつ病学会治療ガイドライン
〈※2参考〉
・難病情報センター:突発性拡張型心筋症(指定難病57):心臓は収縮・拡張を交互に繰り返すことで全身に血液を送り届けるポンプとしての役割を果たしていますが、特発性拡張型心筋症(以下、拡張型心筋症)は、心臓(特に左心室)の筋肉の収縮する能力が低下し、左心室が拡張してしまう病気。
https://www.nanbyou.or.jp/entry/3985

保健センターの方からのある言葉で傷ついたこと、辛かったこと

産後1ヶ月くらいに、上の子の保育園関係の書類提出のために、保健センターへ行った時でした。事前に死産したことは伝えていたのにも関わらず、保健センターの職員から「もう働いているのですか?」と言われました。この言葉を言われたとき、死産した人は直ぐに働かないとならないのか、産休はとってないの?(元気な赤ちゃんを産んでいたら産休をとっていたと思うけれど、死産したためその産休はない)と遠回しに言われたように感じ傷ついたことがありました。
 自分が住んでいる地域には、赤ちゃんを亡くした方々が集まる自助グループのようなものがなく、もしかしたらあるのかもしれませんが見つけることができませんでした。見つけられた!と思っても自宅から離れた距離にありましたし、日程も合わず参加できませんでした。どこに相談したら良いのかも分からず、気軽に話せる人がいない、両親、義両親の協力もない状態でしたのでとても辛かったです。また、当時長男は2歳半でしたので、(上の子2人が女の子というのもあり)乳幼児用品店に行くことが多々ありました。そこには新生児服や哺乳瓶などがあり見るのが辛く、子どもを失った後の生活はさらに苦しかったです。

亡くなった次男のことを、いつでもどこでも想い続けています

今年(2023年)10月5日で、次男が2歳になりました。お墓参りには、長女と長男で行ってきました。この2年、あっという間でした。
最近は長女とよく次男の話をします。「もし次男がいたら、長男とお菓子の取り合いしてたり、ママの取り合いしてたんじゃない?」と言って笑ったり、日常の中でも、もし、次男がいたらこんなことしてたよね、あんなこともしてたよねって話していると、息子の存在を確かめられるような気がします。長男の保育園に迎えに行った時は、保育園の先生が長男の名前を呼んで連れてきてくれるのですが、次男がいたらなぁ~(次男の名前も呼んで連れてきてくれた)と思うこともありましたし、長男の運動会の時にも、もし次男がいたらお兄ちゃんと一緒に運動会出てたのかなと思った時もありました。どんな時も、次男がいてくれていたらのことを想像して、次男のことを想い続けています。

天使ママ・天使パパに伝えたいこと

SNSで他の天使ママの投稿を見ていると自分だけではないことを感じます。また、私の仕事は犬や猫のブリーダーのお手伝いスタッフとして働いています。犬や猫でも死産はあります。そういった死産などで赤ちゃんを亡くしたお母さん犬・猫に「頑張ったね〜」と声をかけられるようになりました。子どもを亡くした母親の気持ちがわかるようになり、動物たちの想いも感じられるようになりました。

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