新生児死

STORY18 この悲しみを乗り越えることは一生できないと思っています。ふとした時に、壁にぶつかることもあります。だから、無理に乗り越えようと頑張らなくて大丈夫

プロフィール

まなさん/1990年生まれ
2018年:第一子長女出産
2020年:第二子次女、妊娠39週で出産。生後12日で早期新生児死
2022年:第三子出産
インタビュー時:死別から3年
#早期新生児死 #肺毛細血管形成異常 #肺毛細血管異形成 #ACDMPV #先天性心疾患 #肺高血圧症 #乳児重症肺高血圧症

とにかく無事に生まれてきてくれてほっとしていました

妊娠初期の超音波検査でお腹の赤ちゃんに、後頚部の浮腫みがあることを指摘されました。そのため、羊水検査をしました。結果は、染色体異常はありませんでしたが、先天性心疾患のあること、羊水過多、他にも病気があることが疑われました。妊娠中、医師の説明は「赤ちゃんの心臓に穴があいていますが、生まれたら心臓の手術をしたら生きることができますよ」と言われました。妊娠中は不安はありましたが、医師の言葉を信じ手術したら大丈夫なんだと思っていました。その後、自然な陣痛を待ち、予定日の1週間前の妊娠39週に普通分娩で出産しました。生まれた直後の次女の元にNICUの医師が直ぐに来てくれ、診察してくれました。次女の産声は、か弱い声でしたがちゃんと泣いてくれたー!ってほっとしていました。それから10分くらいは泣き続けて「元気だねー」って医師や助産師に言ってもらって安心していました。助産師は、次女を私の隣に寝かせてくれ、しっかり目を開けてくれていて、目の開いたお顔の写真を撮ってもらいました。とても嬉しかったです。次女に心疾患があるのにも関わらず、医師や助産師たちは慌てる様子もなく、モニターなどの機械や管なども付けませんでした。病室に次女を連れてきてもらい、私が横になるベッドに一緒に横になってほっぺや手に触れていました。とにかく無事に産まれてくれたことにほっとしていました。

生まれてからの検査で、さまざまな疾患が見つかりました

出産したその日に、次女はさまざまな検査をしました。その結果、心臓以外にさまざまな合併症があることがわかりました。心臓の手術を乗り越えたとしても、成長するにつれて更に乗り越えていかなければならない壁があるということを医師から告げられました。目の前が真っ暗になり何も考えられなくなりました。
生後3日目、娘の状態が落ち着いていたため、娘だけ別の病院に転院することになりました。転院後、直ぐに転院先の医師に私は呼ばれ、外出届けを出して病院へ向かいました。病院へ着くと、次女は鎮静薬で眠っていました。次女の場合、心臓疾患に伴う肺高血圧症が重症のために心臓の手術ができない(手術に耐えられない)状態だということ、薬を投与しても効果が得られていないということでした。現代の医学では治せない状態であることを知らされました。助かるために転院して来たのに。絶望的でした。

次女と過ごした1週間

私は、出産した病院に戻り次女のことを伝えると、病院は色々と配慮してくれて、その日のうちに退院させてもらいました。夜中の急な呼び出しにも対応できるようになりましたし、最期の日まで病院に通うことができるようになったのも出産した病院の配慮があったからです。
転院先の病院ではコロナ禍真っ只中ではあったものの、面会時間の制限なく、夫婦での面会や祖父母、上の子との面会も自由にさせていただきました。娘は、鎮静剤でずっと眠っていて、オムツ替えなどのお世話をさせてもらいました。
ファッションショーのように次女のために用意していたお洋服を着せ替えて写真を撮ったり、足型を取ってもらったり、乾燥している肌のところに保湿クリーム塗ったり、髪の毛や身体を洗ったり、胎便が出たのも嬉しくて喜んでオムツ変えました。これからできないお世話をすることができたとっても濃い1週間でした。

病棟のスタッフの配慮があり、自然なきょうだいの関わりを見ることができました

生後12日目、長女が妹に初めて会える日でした(面会の許可が得られた)。病棟のスタッフの方々は、事前に色々と段取りを組んでくれたり、2歳4ヶ月の長女が怖がったり、驚かないようにと、次女についているたくさんの機械や点滴を隠してくれるなどの配慮をしてくれました。この頃には、次女の顔色も生まれた時と比べると赤ちゃんらしい明るい色ではなくなっていましたが、長女は妹に会うと「〇〇ちゃん、ねぇねよー。かわいいね」と言って頭をなでなでしていました。自然なきょうだいの関わりを見ることができました。長女にとっては見たこともない医療機器がたくさんあって怖かったと思います。でも病棟スタッフの配慮のおかげで、長女が次女に会うことができ、とても感謝しています。また、長女の心強さも見ることができたのかなって思います。

見送った今も、次女を可愛がる長女の姿を見るとあの時、次女に会わせることができて良かったなと思います

長女は、今も妹の写真や骨壷をなでなでしたり、「〇〇ちゃんだいすき!」と言って骨壷に話しかけたり、「足、小さかったね〜。お揃いの服着たね〜。抱っこしたね〜!」と話してくれています。実は、当時長女に妹を会わせるかとても悩みました。2歳4ヶ月の長女は記憶力もついてきていましたし、物事の理解もできるようになってきていました。妹に会わせたら当時のことを思い出して長女が辛くなってしまうのではないかと考えていました。でも、次女を見送った後もこうして妹を可愛がって、一緒に過ごしたことを嬉しそうにお話ししてくれる姿を見ると会わせることができてよかったなと思います。

周囲との関わりの中で感じる悲しいことや、親族の何気ない行動

次女の姿はないけれど、いない子にはしたくないという思いがありました。悲しいことだから隠すのではなく、次女がいたという事実を知って欲しい!という思いから、職場や友人などにも話せる人には話すようにしています。昨年(2022年)、第三子が生まれてました。本来なら、3人目の子どもなのに、周囲からは第二子に思われてしまう・・。仕方のないことですが、その現実が悲しいです。
また、二女が亡くなって1ヶ月後、里帰りをしていた実家から自宅まで両親が送ってくれました。その道のりで、義実家宅に寄ることになりました。ちょうど義兄家族が来ていて、しかも義兄弟には2人目の生後10ヶ月くらいで赤ちゃんがいました。当時赤ちゃんを見るのも辛かったですし、本当なら私も子ども2人を育児をしているはずなのに2人いないという現実を突きつけられた感覚で辛かったです。さらに、実母が何気ない会話の中で「2人育児大変でしょ!」と私の目の前で義姉に話しかけていて、いたたまれなくその場を離れて泣きました。

次女が亡くなった意味について考える

次女と過ごした幸せを実感できたのはほんの一瞬だけで、親なら誰でも子どもの成長を見届けたいものです。なぜうちのこでなければならなかったのか?という答えのない問いを考え続けていました。もちろん、次女が生まれてきてくれたお陰で新たに出会えた人もいますし、視野が広がったとは思います。よく、その答えは後から出てくるとか聞くけれど、生きていてくれてたらに越したことはないです。神様は、乗り越えられない試練は与えないと言いますが、こんなに辛い経験を完全には乗り越えられるわけがありません。次女が元気に生まれてきてくれたら、どんなに楽しい生活が待っていたんだろう、どんな姉妹になっていたのかなと想像すると悔しくて仕方がありません。

この疾患についての情報を少しでも多く集めて理解することで、次女が亡くなったその事実を受容できるのかもしれない

次女が亡くなってからはっきりした病名を知りたいと思うようになり、その治療の解明に協力できるのであれば協力したいと思いました。そのため、次女の肺の病片を取って検査にかけたり、私たち両親の遺伝子も調べる必要があったため採血に協力しました。次女が亡くなってから、約3ヶ月後に病名が分かりました。 ACDMPV(肺毛細管形成異常)※でした。このACDMPVは、遺伝子異常による可能性が高いようなのですが、原因や疾患について分からないことが多いようです。少しでもこの疾患についての解明に役立てれたら、今後同じ疾患や似たような症状を持つ子が生まれても治療法が見つけられるかもしれないと。そうやって、治る病気が増えてきたわけですもんね。でも、やっぱり親としては、なんで私たちの子どもでなければならなかったのかという思いです。
一つ言えるのが、この疾患についての情報を少しでも多く集めて理解することで、次女が亡くなったその事実を受容していく上では大切なのかもしれないと。

〈参考〉日本小児循環器学会:
日本小児循環器学会
肺静脈のずれを伴う胞毛細血管異形成(ACDMPV)とは、出生時(先天性)に存在する、まれに診断される新生児(新生児)の致死的な肺発達障害です。乳児は、生命を脅かす重篤な呼吸障害(呼吸窮迫)と肺の動脈血管の高血圧(肺高血圧症)を経験します。これらの問題は、生後数時間または数日以内に発生する可能性があります。この疾患を持つほぼすべての乳児は生後 1 か月以内に亡くなるケースが多い。

名前に込めた想い

“太陽のように、周りを明るく照らしてくれて、みんなを笑顔にしてくれる存在でありますように”という願いを込めて付けた名前です。
きっと次女も笑って私たちを見守ってくれています。次女の思いが報われますように、そう願っています。
「〇〇、よく頑張ったね。あなたの生命力の強さ、優しさ、頑張り屋さんなところ、全部、パパとママの誇りだよ。自慢の娘だからね。生まれてきれくれてありがとう」

天使ママや天使パパへ

わが子の死は、この世の終わりかのように人生のどん底まで突き落とされた気持ちになりました。周りの人からは乗り越えていこうね、のような言葉で励まされたりもしました。時間が経てば気持ちが落ち着き、少しは和らぎます。笑顔で過ごせる日々がきっとやってきます。でも、この悲しみを乗り越えることは一生できないと思っています。ふとした時に、壁にぶつかることもあります。だから、無理に乗り越えようと頑張らなくて大丈夫です。

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