死産・人工死産

STORY19 子どもが増えても「なんか足りない」。心のどこかで寂しさ、息子に会いたい・かえってきてほしいという気持ちは消えない

プロフィール

琴美さん/1991年生まれ/医療従事者
2015年:第一子長女出産
2017年:第二子出産次女出産
2019年:7月23日第三子長男、妊娠38週5日常位胎盤早期剥離で死産
2020年8月:第四子出産三女出産
2022年:第五子出産次男出産
インタビュー時:死別から4年5ヶ月
#子宮内胎児死亡 #常位胎盤早期剥離 #臨月死産 #死産 

突然の激しい腹痛、声も出せない、動けないほどの腹痛、お尻への圧迫感

出産前日の妊娠38週4日夜20時くらいに、軽度の腹痛がありましたが、胎動は少しおとなしいような気もしていたけれど様子をみていました。子どもたちを寝かしつけたあとにトイレに行くと元気な胎動を確認しました。この時は、これが最後の胎動とは思ってもいませんでした。しかし、日をまたぎ夜中の1時くらいに布団に戻った時、突然とても激しい腹痛がありました。動けないし、声も出せないくらいの腹痛でした。お尻の方への圧もすごく何か出てくるんじゃないかって思いましたが5分くらい休んでいたら落ち着きました。その後も動くたびに、シクシクというような軽いお腹の痛みはありましたが、ボコボコというような胎動もあったので朝まで様子をみることにしました。朝になるとやっぱり胎動がないな、胎児心拍聞こえるアプリ(マイベイビービート)でも心拍がないと不安になり、病院に連絡しました。病院に着くとすぐに助産師がNST(ノンストレステスト)をやってくれましたが、赤ちゃんの心拍がひろえませんでした。医師がきてエコーをあてると「常位胎盤早期剥離」だということがわかりました。医師がエコーをあてている時も、私はすでに赤ちゃんの心臓が止まっていることをみてしまっていました。常位胎盤早期剥離・・聞いたことがあるような、なんかチラシで見たことがあるような、でもよく分からないし・・。信じたくない、これは本当なのか、先週の妊婦健診では赤ちゃんが横位だったのもありあの時帝王切開で産みたいと言っていたら結果は違っていたのかななど色々と頭によぎっていました。夫と2人の子どもが病院に着いた時、2人は夫にだっこされていました。そのあとは、ここの病院では対応ができないと言われ、大学病院に救急搬送となりました。私がストレッチャーに乗って救急車に乗るところを長女がちょうど見ていて、大泣きをしていました。その光景はまだ鮮明に覚えています。

産声のない出産でしたが、あたたかな空気で包まれていました

大学病院に着き、病衣に着替えてる途中で大量に出血しました。そのあと、モニターや酸素をつけられ、採血上帝王切開は難しいということで促進剤を使用して経膣分娩となりました。医師は夫にお腹の赤ちゃんが亡くなっていること、母体の命も危ないこと、子宮を全摘もしくはお母さんが助かるかも分からないなど説明していました。輸血などの同意書も夫が記載していました。
分娩中、なんで亡くなった子どもを痛い思いをして産まないとならないのか、なんで下から産まないとならないのかと投げになっている自分もいました。血圧が70台に下がったりもありましたが、輸血をしながら息子が生まれました。もちろん産声はありませんでした。分娩の介助に着いてくれていた助産師さんたちは泣いて介助してくれていた方もいて、生まれた時は「お母さん、頑張ったね〜、息子さんも頑張ったね〜」と褒めてくれました。「おめでとう」の言葉はありませんでしたが(なくても、あってもよかった)、この助産師さんたちの言葉で、しーんという悲しい雰囲気は全く感じなかったのがありがたかったです。生まれたばかりの息子は、顔色も良くて、あたたかくて、ただ眠っているだけなんじゃないかなってくらい静かにして目を閉じていました。つんつんってほっぺを触ると、目を開けてくれるんじゃないかと思ってずっと話かけてました。
分娩後は、私は絶対安静でベッドから動けませんでした。でも、ひたすら抱っこしたり話かけたりずーっと息子と一緒にいました。病室の温度をできる限り低くし、1日中息子と一緒に過ごしました。沐浴はできませんでしたが、助産師さんの協力があり、手形足形をとったり、おむつ交換をしたり着替えをしたり、授乳もできました。入院中は、助産師さんはきっと忙しいのにも関わらず、ずっと私の話を聞いていてくれて、ずっとそばにいて寄り添ってくれました。
退院は母子一緒にできるという説明がありましたが、先に私が退院し、息子は翌日に迎えに行くことにしました。夏の暑い時季でしたし、火葬の準備のためのお花などを揃えたかったというのもあります。あと、当時4歳、2歳だった娘たちが亡くなったきょうだい(赤ちゃん)を見るのは辛いのでないか、「死」をちゃんと理解できていない年齢に「死」をつげるのはかわいそうと思ったからです。ただでさえ、娘たちは私の命が危ないという状況を目の当たりにしてたので、さらに辛いことを伝えるのはとてもできませんでした。(少ししてから息子の遺骨や思い出の物を飾る場所を家のリビングに設けたのですが、少しずつ私の心の整理がついてきてから娘たちに弟が亡くなってしまったことを伝えました)
息子を迎えに病院へ向かいました。息子は霊安室にいて、医師や助産師さんがたくさん集まってくれて息子にお別れをしてくれました。その時、助産師さんたちが息子との写真や手形足形をプレゼントをしてくれました。とても嬉しかったです。それに入院中、ずっと泣いて動けなかった私に、搾乳もして冷凍していた母乳を渡してくれたりして、最後まで病院の医師、助産師の方々にはお世話になりました。

(左)出産直後の写真

産休後に仕事復帰。息子を想う時間がとれないことで、息子への申し訳ない気持ちがありました

産後8週には仕事復帰をしました。職場の同僚は私と同じようにママさんが多かったのもあり「もう復帰したのですか?」「もう帰ってきたの」と声があったのですが、変に気を遣われて腫れ物扱いにされるよりも、こうして気にかけてくれ嬉しかったです。ただ、私と同じように出産をした同僚が赤ちゃんを見せに職場まできた時があって、その時は辛かったですね。赤ちゃんを見るのも辛い時期でしたし、まして同僚でしたので。でも、息子を亡くしたことを知っていたにも関わらず普通の態度で接してくれたのはありがたかったかなと思います。
 仕事復帰の時期については悩みましたが、実際(産後休業終了後に)仕事に戻ると体も動けましたし、人と関わる仕事で忙しくしていると気が紛れて、亡くなった息子のことを考える時間もなくて。でも、仕事が終わって自宅に着き、ふと一息つくと息子のことを考える時間を取れなくてごめんね、想う時間をつくれなくてごめんね、かわいそうなことをしてしまったなって後悔するんです。

悲しくなった時は溜め込まず泣いたり、言葉にしたり

どう向き合ってるんでしょう。泣いたりしていました。悲しみに向き合えているのかもわからないですが、悲しくなった時は溜め込まず泣いたり、言葉にしたりしています。例えば、退院後、自宅に戻ってからはまたいつも通りの生活が始まるんです。上の娘たちは保育園に送迎しないとならないし、買い物だって行かないとならない・・。そうなると、妊婦さんや赤ちゃんにだって会ってしまう。息子を亡くしてまだ間もないし、赤ちゃんに会うのは辛い、無理だな〜って思ったんです。それを近所に住む義母夫婦に伝えると、上の娘たちの保育園の送迎をある程度の期間までしてくれたんです。とても助かりました。こうやって、辛いことや悲しいことも溜め込まずに口に出したりしていたためか、夫も仕事が休みの時は家事や、子どもたちの面倒も見てくれたりしていたので、夫婦喧嘩も無く過ごせていました。夫は息子のことを言葉にする人でもないので、どう思っていたかは分からないですが、死産となってしまったことに対して、私を責めるでもなく、きっと夫は夫で思うことがあるんだろうなと思って過ごしていました。それがよかったのか、なんだかんだバランスが取れていたのかなと思っています。
あとは、SNSを通じて同じ天使ママさんたちと繋がれたことは私にとってはとても支えになりました。何かを伝えに来てくれたのかな?とも思いますが、それがなんだったのかな〜と今でも考えたりしてます。助けられたかもしれないのに「ごめんね」という気持ちと、私達家族のところに来てくれて「ありがとう」、家族になってくれて幸せだよとは思っています。

子どもが増えても「一人足りない」

息子を死産した後は、早く戻ってきてほしい、早く取り戻したいという気持ちが強くありました。そのため、死産後の妊活も早めに励みました。息子を亡くしてから5ヶ月後に、レインボーベビーとなる第四子を授かりました。妊娠16週頃にお腹の赤ちゃんが「女の子」とわかりました。女の子と分かった瞬間、お腹の子を出産しても息子ではない、どんなに願っても息子には会えない、この子を可愛いと思えるだろうかと思ってしまいました。同時に、亡くなった息子とこれから生まれてくる子に対して申し訳ない気持ち、出産することさえも怖くなってしまいました。このことを、出産する病院のバースプランに記載しました。助産師は「念願の男の子だったもんね〜」と共感してくれました。いざ、産まれるとやっぱりわが子はかわいいなと感じ安心しましたし、やっぱり息子ではない、戻ってこないんだなという現実も知りました。心のどこかで寂しさと、息子に会いたい・かえってきてほしいという気持ちが消えず、第5子を妊娠した時に、性別が男の子とわかった時は嬉しかったです。でも、5人目の男の子を出産してみても、お顔も亡くなった息子とは当然違っていて・・。亡くなった子は戻ってはこないんだなって、改めて5人目の男の子を出産して感じました。それからは、やっぱり育児をしていても、やっぱり一人足りない、さみしい感覚は消えなくて。きっとこれからもこの感覚は続くんだと思うのですが。

無事にレインボーベビーを産みたいと考えた時に

もしレインボーベビーを授かったとしてもまた「常位胎盤早期剥離」になるかもしれない、既往歴に早剥(常位胎盤早期剥離)がある人は再発のリスクも高いと医師から聞いていたので不安でした。無事に産んであげられるにはどうしたらいいか?を私自身も考えましたし、医師にも相談していました。妊娠中にバイアスピリンや葉酸などの内服薬を服用する方法や、臨月を迎えて陣痛を待たずに計画分娩をする、些細なことやなんかおかしいかも?という感覚を自己解決させないで、病院に相談して受診を仰いで受診させてもらう・受診させてくれる病院を選ぶなど、できることを行いました。あとは、お腹の赤ちゃんのことを信じてあげることです。

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