死産・人工死産

STORY20 先の見えない暗闇の不妊治療期間。そんな私に息子は光を与えてくれました。

プロフィール

わかこさん/1997年生まれ
2023年12月:第1子の長男を妊娠39週で死産
インタビュー時:死産後から3ヶ月
#子宮内胎児死亡 #臨月死産 #死産 #初産 #原因不明 #不妊治療 #体外受精 #多嚢胞性卵巣症候群 

不妊治療は、精神的にも体力的にも辛かったです。"早く子どもが欲しい”と焦って、がむしゃらに治療を行っていました。

私は、多嚢胞性卵巣症候群※1と診断されていて、自然妊娠は難しいと言われていました。そのため、結婚後、早い段階から不妊治療を開始しました。2022年6月から半年にかけて5回人工授精にチャレンジしました。私の場合、人工授精期間はタイミング法期間と同じく、排卵誘発剤クロミッド錠で排卵を誘発させて(それでも卵胞が育っていなければHMG注射※2)行っていました。結果は5回とも生理がきてリセットとなりました。
私の場合の人工授精スケジュールは、生理2日目で受診(私の通うクリニックは生理1~3日目の間で受診しなければなりません)してクロミッドもらいます。その約10日前後に再診し、卵胞の大きさを確認します。卵胞の大きさが不十分の場合は、再度HMG注射を打ちます。その約5日前後で、卵胞の大きさを再度確認し、HCG注射(注射後約40時間後に排卵が起こります)を打ちます。翌日、受診し人工授精を行います。このような流れでした。

〈参考・引用〉
※1多嚢胞性卵巣症候群:日本産婦人科学会によると、両側の卵巣が腫大・肥厚・多嚢胞化し、月経異常や不妊に多毛・男性化・肥満などを伴う症候群」と定義されています。液体で満たされた袋状の病変(嚢胞)が卵巣に多数生じ、卵巣が腫れて大きくなることにちなんで名づけられました。女性の約5~10%にみられ、一般的な不妊症の原因となっています。
多嚢胞性卵巣症候群はどのような病気ですか?

※2 HMG注射:ヒト下垂体性性腺刺激ホルモン(hMG)製剤と呼ばれるグループ に属する注射薬です。女性の卵巣に働きかけ、黄体形成ホルモン(LH)と協力して卵胞を育てる働きがあります。 次の目的で自己注射のため処方されます。生殖補助医療における調節卵巣刺激 、間脳性(視床下部性)無月経・下垂体性無月経の排卵誘発、生殖補助医療における調節卵巣刺激
http://生殖補助医療における調節卵巣刺激

私は、シフト制のパートに行っていたのでスケジュールの調整が本当にストレスでした。卵胞育ってないと言われると、シフトのスケジュールが狂い、主人は夜勤のある仕事だったので、人工授精の日程と被らないかヒヤヒヤしていました。
クリニックの担当医師から、「年齢が20代なので人工授精3回までに妊娠しないと(人工授精は)厳しい」と聞かされていました。人工授精3回目の時も生理がきてしまい、その時は酷く落ち込みましたね。妊活を始めてから生理が来るたびに落ち込んで泣いていましたが、医師から言われた「3回で妊娠しなかったら」という言葉は“女性”失格というか、女性である自分を失っていたというか、一生、母親になれない身体なんだろうかと気持ちがめげそうでした。夫も子どもを熱望していました。そのため、不妊治療には前向きに取り組んではいてくれました。しかし、クリニックに行くのは毎回私だけでしたし、「生理きちゃった」と報告した時に、主人が落ち込んで黙られたりすると、まるで自分が攻められてる気分になったりもしました。1度の人工授精をするために、私は5度も受診しなければならず、その大変さを主人に分かってもらえない悔しさや、怒りが湧いていました。人工授精当日の朝に主人には採精してもらうのですが、その時も「またかー」とか言われる時もありました。何度もクリニックに足を運んで治療をして、赤ちゃんがきてくれる準備は私の方が時間も労力も精神的にも大変なのに、夫にこの辛さを共感してもらえてない悔しさ、怒りがありました。とにかく人工授精期間は私のメンタルは凄く落ちていました。“早く子どもが欲しい”という焦りもあり、がむしゃらになっていたなと振り返って思います。
不妊治療をしていた身からすると、本当にこの緻密なスケジュール調整が大変で、本当にストレスでした。毎日飲む薬は、副作用もあり辛かったです。

子宮内胎児死亡

妊娠39週の妊婦健診では、息子の元気な姿を確認していました。その2日後のお昼までは胎動を感じていたのが、その夕方には感じなくなっていました。そういえば、お昼過ぎから動いていないかもって。急に不安になり、でも主人がたまたま休みで自宅にいたため1時間ほど様子を見ていました。それでも、やはり胎動がない、もしかしたら、ダメなのかもしれない、そう薄っすら感じとれるものがありました。すぐにかかりつけのクリニックに受診しました。医師からは、「心臓が止まっています」と宣告されました。頭が真っ白で、今どのような状況かもよく分からなくなっていました。でも、泣き崩れることもなく、冷静な自分がいましたね。

医師や助産師が、私を母親にしてくれました

子宮内胎児死亡と宣告を受けた後は、医師や助産師がその後について説明をしてくれました。臨月に入ったくらいから、いつお産になってもいいという覚悟でいたため出産への意気込みはそれなりにありました。私ができること、母として今できることは息子を産んであげることなんだって思えるようになっていました。主人は、隣でずっと泣いていました。助産師は、妊娠中期に書いていたバースプランに基づいて出産をサポートしてくれました。バースプランを変更しますかと聞いてくれましたが、特に変更はしませんでした。促進剤を開始してから約12時間後に息子が生まれてきてくれました。医師や助産師の口から、「いきむの上手だったよ」、「きれいに生まれてきたね」、「ぷくぷくしていてかわいいね」とお産の様子を褒めてくれたり、息子のことをかわいいと言ってくれ、普通(元気に生まれてくる子)のお産と変わらない声かけをしてくれました。息子をあたたかく迎えてくれたことが本当に嬉しかったです。へその緒がついたままの息子を胸に抱いたときは、幸せと達成感でいっぱいでした。息子はとてもあたたかかったです。へその緒は主人が切ることができました。息子をこんなにも愛おしいと思えるようにしてくれたのもは、医師や助産師のおかげです。

本来なら育児をしているはずだったのに、いるはずの息子がいない寂しさと、この先息子がいない人生をどう生きていけばいいのかわからなくなりました

出産後、息子を解剖することもできると説明を受けましたが行いませんでした。母体の血液検査や胎盤の病理検査だけ調べてもらいましたが、死産の原因となるものは見つかりませんでした。子宮内胎児死亡の原因は不明ということでした。そのため、なぜお腹の中で亡くなってしまったのか、原因は私にあるのか、どうしてこんなことが起こったのかをネットでたくさん調べた。調べても、調べても病態的なことはわかりませんでした。
火葬後主人は数日休暇をとってくれました。その後は、また死産前と変わらない生活が始まりました。主人は仕事に、私は仕事はしていなかったので自宅で過ごすという毎日に。本来なら育児をしているはずだったのに、いるはずの息子がいない寂しさとこの先息子がいない人生をどう生きていけばいいのかわからなくなりました。私だけ取り残されているような感覚に襲われるようになりました。泣いてばかりいる私、赤ちゃんを無事に産んであげられなかった私は家族に迷惑をかけている。私はここに居ていいのだろうか、亡くなった息子は私のことをどう思っているのかなと、どんどん自分を追い詰めてしまうようになっていました。夫が仕事から帰ってきて、寝たのを確認すると私はベランダに出て、早く息子の元へいきたいという時もありました。
息子を見送ってから、泣かない日はありません。寝れない日もたくさんあります。先日は3時間大泣きをしました。大泣きするのも結構体力がいるんですよね。

世間からしたら息子は存在しない子なのかもしれない。でも、私のお腹の中で確かに生きてくれました。

何年ぶりの読書だろう。ネットで検索していると「誕生死」※2という本が目に入ってきました。私と同じように、赤ちゃんを亡くした方の気持ちや捉え方を知りたくて読みました。あとは、「産声のない天使たち」など何冊か本を購入して、母と読み合っています。
この誕生死の本は、2002年に発行されているので今から22年も経っています。当時と比べて、今はわが子とお別れして間もない頃からSNSで同じような経験をした方と繋がることができることに気づきました。語り合う場所があって、いつでもどこでも、同じような経験をした人たちと繋がれる環境があるのは、誕生死のように声をあげてくれる方々がいたからだと感じました。死産は、戸籍に残すことができないため、世間からしたら息子はいない子なのかもしれません。でも、私のお腹の中で確かに生きてくれましたし、生まれてきてくれました。そのことを強く思わせてくれる本でした。

〈参考〉※2誕生死:三省堂
https://www.sanseido-publ.co.jp/np/detail/36090

周囲のサポート

両親や、夫の両親にはたくさんサポートしてもらいました。家族みんなが息子に会いに来てくれたり、棺の準備、できることを提案してくれました。また、産後3週間ほど実母が泊り込んで家事や私のメンタルサポートをしてくれました。食事の支度や掃除、洗濯だどの家事をしてくれました。私があれをして、これをしてと言わなくても色々と行ってくれたので、ゆっくり体を休めることができました。

悲しみから逃げないこと

悲しみから逃げないこと。これを徹底しています。泣きたいときは泣いて、突然溢れてくる涙は外出していてもどこでも流しています。自分のなかに湧いてくる様々な気持ちに蓋をせずに吐き出すことで心が整理ができるような気がします。涙はわが子への愛情なんだって、愛が大きいからこんなに悲しいんだって思えたら、泣くことは悪くないんだって思えるようになってきました。わが子が亡くなった意味について、「これだ!」と思うことは見つかっていないのですが、わが子の別れを通して私に出来ることがあるのではないかと思っています。「ママなら僕への愛情を忘れずに周りを大切にしながら出来ることを見つけて強く生きてくれる」と私を選んできてくれたのかなと思っています。

天使ママや天使パパへのメッセージ

様々なお別れがあるけれど、わが子を亡くした私達の気持ちは同じだと思っています。悲しいことだが仲間はたくさんいる。ひとりじゃない。私達の赤ちゃんは必ず私達を見守ってくれています。

遺骨ペンダントです。主人と一緒に息子の遺骨をこのペンダントの中に詰めて作りました。

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