死産・人工死産

STORY21 待ち望んでいた命、その命を自分たちで止める決断をする苦しさは、人生でこれ以上辛い経験はないと思います。その中でも、できることをやり尽くすが大切なのかなと思います。

プロフィール

ゆきさん/20代後半
2019年:第一子出産
2022年:第二子を妊娠20週で人工死産
インタビュー時:人工死産から2年8ヶ月
#システックヒグローマ #嚢胞性ヒグローマ #NT #胎児水腫 #頸部浮腫 #ターナー症候群 #遺伝子異常 #心疾患 #人工死産 #コロナ禍

宣告から決断まで

妊娠12〜13週の妊婦健診の時に、お腹の赤ちゃんに後頸部に浮腫※1があると指摘を受けました。1人目の時は全く問題なく妊娠生活を過ごしましたし、甥や姪も元気な様子を見ていると、まさか私の子が病気がある子なんて信じられませんでした。その後、私もネットで検索はしていましたが、私よりお主人が熱心に検索して、病気について詳しろうとしていました。でも、この頸部浮腫やシスティックヒグローマ(嚢胞性ヒグローマ)※2についてインターネット、ブログやインスタグラム、書籍などから情報収集しましたが情報が少なかったのです。医師の説明では、システィックヒグローマだけではなく、心疾患や他にも色々と病気があることも告げられました。また、医師は、生まれたとしても助からないかもしれない。もし生きてくれても手術や入院生活が続くことは覚悟してくださいと言われ、今の生活が大きく変わる、変えないとならない。もしかしたら、主人は仕事もできなくなったり、辞めないとならないかもしれない。上の子には我慢をさせてしまうことも増えるだろうし、一緒にどこか遊びに行くことも今まで以上にできないだろうと現実的なことを考えていました。もし、妊娠を継続したとしても、妊娠中に亡くなってしまうかもしれないし、奇跡的に予定日の出産でまで成長してして産まれても、病院から一歩も出ることができない子。自分たち夫婦が命を諦めたくないという思いで、奇跡的に産まれたとして、生きることができたとして、その後自分たち夫婦に何かあった場合や、自分たちが経った後は、必然的に長男に負担がかかると思いました。
 宣告後、何度か受診をしましたが、医師の口からは同じような説明でした。でも、私たちは自然と、“生きることが難しいのであれば、お別れした方がいいのかもしれない”と心の整理がつくようになってきていました。そして、宣告から約2ヶ月経った、妊娠20週に人工死産をすることに決めました。

〈参考・引用〉
※1 頸部浮腫 NT(Nuchal Translucency):日本産婦人科医会によると、妊娠初期の胎児を超音波検査で観察する際、後頸部に存在する低エコー域のことである。NTはすべての胎児に認められるが、この低エコー域が通常の胎児に比べて厚くなっているときは、染色体異常や心奇形などの可能性があるとされている。
頸部浮腫 NT(Nuchal Translucency)について

※2 嚢胞性ヒグローマ(Cystic hygroma):超音波医学会によると、嚢胞性ヒグローマの頻度は出生1000例に対して1例と言われている.妊娠30週以前に後頭部に発症する多嚢胞性の大きなヒグローマは60%に染色体異常を,40%に非免疫性胎児水腫を合併し,予後不良であると言われている.
嚢胞性ヒグローマ(Cystic hygroma)

限られた時間の中で出産から見送りまでにできることを探しました

宣告から約2ヶ月ありました。出産までに、何を準備しなければならないのか、何が準備できるか、残りわずかな妊娠期間をどのように過ごそうか、産まれた後はどんなことをしたいかなど、限られた時間の中で見送りまでにできることを探しました。家族でマタニティフォトを撮っていなかったので自宅で家族4人の写真を撮りました。手紙や小さいおくるみなどひつぎに入れるものを作ったり購入したり、仏具の準備などの準備をしました。小さなおくるみなど赤ちゃんを包めるものを準備しようとネットで検索をすると、あるボランティア団体が出てきました。すぐに問い合わせると、週数・病気の状況を伝えると、おくるみのデザインなどを相談にのってくれました。おくるみが届いた時は、おくるみと同じ生地で作ってくれたボタンも一緒に添えてあり、メッセージカードもありました。とてもあたたかなものでした。

職場や親族のサポート

職場に産科経験者の看護師助産師さんがいたので相談にのってもらっていました。遠方(飛行機できてくれた)の義父母に急遽、長男の子守のために来てもらいました。実は、私たち夫婦でひつぎをつくっていたのですが、産まれてきた子には少し小さかったようです。そのため、義父母がホームセンターに行って材料を購入して、即席でひつぎを使ってくれました。

火葬前夜は自宅で過ごしました

自宅に帰れることになり、一晩家族で過ごしました。夏場だったのでドライアイスを用意したいなと思っていました。限られた時間の中、病院から自宅までの道のりで両親が(ドライアイスを扱う)業者を見つけてくれたおかげで、ドライアイスをたくさん準備することができました。それから、少し抱っこをしたり、ひつぎの中を可愛く飾りつけをしたり、写真撮影、ミルクやお花をお供えをしました。

赤ちゃんが宿った意味

私自身はこの経験の意味を模索中ですが、 主人はなにか意味があると思っているようです。この人工死産の前から転職をしたいと言っていました。この死産をきっかけに決意できたようです。

見送った後の弔い方

夫が転職したことにより大きく環境が変わったため気持ちが日々晴れていく様子が伝わってきました。仏壇の前で手を合わせると悲しい気持ちになるので、手は合わせず、毎日お供えやお線香を立てたり、遠くへ出掛ける時には遺骨ブレスレットを付けて過ごしています。

同じようなご経験された方へのメッセージ

待ち望んでいた命、その心音を自分たちで止める決断をする苦しさ、わが子とほんの少ししか過ごせずお別れ(火葬)しなれければならない悲しみ。人生でこれ以上辛い経験はないと思います。これでよかった!と思える経験ではないけれど、できることをやり尽くすが大切なのかなと思います。

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