死産・人工死産

STORY 22  あの子が私たちに伝えたい何かを、残された時間で見つけていきたい

プロフィール

れいなさん/2001年生まれ
2022年5月26日:第一子の長女を妊娠24週で子宮内胎児死亡
2023年6月:第二子の次女を出産
インタビュー時:死産後1年10ヶ月

#子宮内胎児死亡 #第一子 #臍帯狭窄 # 臍帯過捻転 #臍帯異常 #中期死産

重い空気、助産師の表情、その時の記憶は鮮明に覚えています

子宮内胎児死亡と宣告される1週間前の妊婦健診で、お腹の赤ちゃんが元気に動いてる姿を確認していました。赤ちゃんの大きさは、週数の割に小さめでしたが標準範囲内ということでした。
その日は、祖母の家に足を運んでいました。朝から少し胎動が少ない気もしていましたが、心のどこかで「大丈夫よね」という思いがありすぐに病院に受診するなどのことはしませんでした。自宅に帰り、夜中になっても胎動を感じなかったので、不安になり実母と一緒に病院に行くことにしました。そこで、赤ちゃんの心臓が止まっていますと宣告されました。産科の医師がそう言った時、実母の叫び声、重い空気の診察室、助産師の冷めた表情がありました。その時の記憶は全て鮮明に覚えています。子宮内胎児死亡と宣告されてから2日後に入院することになりました。その2日間は、あまりにも現実味がなくただただ時間が過ぎるだけでした。何も手をつけられませんでした(火葬の準備など)。
入院すると、ラミナリア※1を2日間にかけて入れて、その後バルーン※2を入れての出産でした。誘発してから生まれるまでトータル4時間のスピード出産でした。すごく痛くて苦しかったです。でももうすぐ会える、その気持ちの方が大きかったのを覚えています。わが子の司法解剖の説明を受けて同意していました。しかし、わが子が産まれたとき、「へその緒の一部が糸のように細く捻れてしまっていて、赤ちゃんに酸素や栄養が届かなくなってしまったために心臓が止まってしまったと思います。“臍帯狭窄”といい、先天的な問題だから仕方がなかった」と医師が言っていました。亡くなってしまった原因がはっきりと分かったので、司法解剖は希望しませんでした。

〈参考〉
※1:ラミナリア桿:天然の海草を原材料とした子宮頸管拡張器。子宮頚管内の分泌物などを吸収してゆっくりと膨らみ、12~24時間で外径が使用前のほぼ2~3倍にまで膨張します。徐々に子宮頚管を拡張するとともに、頚管の軟化をもたらします。
村中医療器情報サイト  大学病院医療情報ネットワークセンター

※メトロイリンテル(通称バルーン):子宮頸管がある程度拡張したら風船のようなものを入れ、それを牽引することで子宮収縮を促し、頸管をさらに拡張させます。ソフトメディカル株式会社ミニメトロ(40mL)

家族3人の幸せな時間を過ごしました

赤ちゃんが産まれた直後、私は何故か涙が出ませんでした。旦那と実母はさまざまな感情があったようでずっと涙を流していました。「産んでよかった」心の底からそう思いました。病院では、赤ちゃんの為にニット帽を編んでくれて、手紙書いていいからねと便箋をくれたりしてくれました。わが子を空に送るまでは、写真を撮ったり、私たちの思いを沢山伝えて、家族3人の幸せな時間を過ごしました。

生きた心地のしない生活

死産後、楽しみにしていた第1子の死を受け入れる事ができずにいました。何度も「死にたい」という気持ちに襲われました。わが子のところへ行きたいなど、死ぬことばかりを考えていました。死産からまる1ヶ月は生きているのか死んでいるのか分からないような生活を送っていました。でも、心のどこかで「このままではいけない、ママは生きて!」そんなメッセージも受け取れる時もありました。そんな時、SNSで同じ経験をしたママの方と繋がることができ(特に亡くなったわが子と近い週数、同じような疾患で死産された方)、感情を言葉に出せるようになってから気持ちが変わっていきました。今思えばすごく救い(同じような経験をされたママの方と繋がることができて)になったと思います。また、お腹で亡くなっているのに気づくのがもう少し遅れていたら私の命も助からなかったかもしれないと言われた事があり、「あの子が私に、生きて!」と言ってくれているんだと自然と思うようになりました。今でも完全に受け入れることは出来ていませんが、前よりも前向きに長女を想えている自分がいます。

夫や親友、実母の優しさ

産後うつ状態になっている私の世話を、夫が全てフォローしてくれました。「元気になったらここに行こうね」「身体が整えば、また赤ちゃん迎えようね」と優しく声をかけてくれていました。大好きな親友に、死産したことを連絡すると、退院した日に家の玄関に何の連絡もなく私の大好きな向日葵の花を置いてくれていました。今でもその親友は、自宅に遊びに来る時は長女の分のお供えを持ってきてくれます。その親友の優しさには何度も救われています。実母も、行事ごとや月命日の度に、おやつや絵本、色んなものを買ってはお供えしてくれています。

あの子が私たちに伝えたい何かを、残された時間で見つけていきたい

私達夫婦に伝えたい事があったんだろうなと今は思っています。その理由は何なのか、今まで沢山考えてきました。 でも、正直分からないです。 残された時間で、その意味を見つけていきたいです。長女の命があったことは代わりありません。ですが、次の命をさずかることでしか向き合う事は出来ませんでした。それぐらい、死産は残酷なものなんだと思っています。長女に対する想いはもちろん変わらない中、妊活に励み第2子を授かりました。妊娠がわかった時の、嬉しい、でも少し寂しい、あの感覚は忘れもしません。

お子さまを亡くされた方へのメッセージ

生きていく理由や希望が見つからず、泣いてばかりの日々を過ごしている方が沢山おられると 思います。今後、新しいいのちが無事に産まれてきたとしても、亡くした子どもがいるという事実は変わりありません。 これからもずっと向き合って背負って生きていかなければなりません。 死産という経験はできればしたくなかったです。子どもを亡くしたことがない世界で生きたかったです。でも、死産を経験して得たこともたくさんあります。命の重みは人一倍知っていると思っていますし、妊娠・出産は奇跡だということを身をもって伝えることが出来ます。 私の周りにはパートナーや、子ども、両親、友人、そして同じ経験をした天使ママの方々が多くいます。あなたの味方がいるということを、決して忘れないでほしいです。 お空に旅立ったわが子の命のバトンを、どうか落とさず繋いでほしいです。 あなたは、ひとりじゃないです。

⚠️お子さまを亡くされたご家族が、深い悲しみの中、他にお子さまを亡くされたご家族の力になれればという想いから、記事にご協力くださいました。ご家族のご経験やお子さまへの想い・気持ちを守るために、当サイトの内容や画像の無断転載・無断使用は固く禁じております。ご理解いただけますと幸いです。

-死産・人工死産
-, , , ,