プロフィール
m.yさん/1998年生まれ
2019年:第一子を妊娠11週で流産
2022年:第二子出産
インタビュー時:流産から5年
#流産 #稽留流産 #多嚢胞性卵巣症候群 #子宮内膜掻爬術 #初産
突然の流産
妊娠11週に流産※1が分かり、その日に手術の日程が決まっていました。しかし、その予定していた手術日の前日に陣痛のような腹痛があって夜間でしたが病院を受診しました。医師から「赤ちゃんが出かかっていて子宮のところで引っかかってる、いわゆる稽留流産※2です。これから出来るとこまで処置します」と言われました。しかし、病院には麻酔科の医師がいなく、通常ならば麻酔(静脈麻酔、もしくは吸入麻酔の併用)を使用して手術をするようなのですが、麻酔なく手術が進み、経験したことのない痛みでした。突然の出来事でしたし、その事実を受け入れるのもままならないまま、ことが進んでいってしまいました。
※1※2:流産とは、医学用語は、自然に起こる流産(自然流産)だけでなく、意図的に妊娠を終わらせる人工流産(妊娠中絶のこと)にも用いられることがあります。妊娠12週未満での胎児死亡のことを早期流産といい、妊娠12〜20週の間の胎児死亡のことを後期流産と言います。また、死亡した胎児が子宮内にとどまっている状態のことを稽留流産と言います。引用MSDマニュアル家庭版・流産
受け入れられない現実
流産の手術後も、この事実をとにかく受け入れられなくて、ずっとお腹を撫でていました。夢なのではないか、何かの間違いではないかって思う時もありましたが、術後もその手術の痛みも残っていましたし、手術中の音(医療機器の音)や処置中の痛みが本当に頭から離れなくて、流産してしまったのは現実なんだって実感しました。
夫婦のすれ違い
流産をした次の日、夫は職場を1日休みをとって私と過ごしてくれました。1日でも休みをとってくれたのは嬉しかったのですが、もう少し一緒にいてほしかったなという思いもありました。流産後から2〜3ヶ月経ったくらいから、夫婦でのすれ違いがありました。とにかく私は悲しくてずっと泣き喚いていました。些細なことで怒りのスイッチが入ってしまい、夫婦喧嘩が増えていきました。私の気持ちが夫に伝わらないと孤独感が増していきました。私の心身ともにボロボロ、両親や親族・友人に流産した人もいなかったので相談もできず。義理の母は、「またすぐに戻ってきてくれるよ」って、悲しんでいる私をどうにかして励ましたいと思ってかけてくれた言葉だと思うのですが、それが逆に怒りの気持ちに変わってしまったりしていました。ひとりで抱え切れないこの気持ち、誰もこの私のことを分かってくれない、誰か助けてって思っていました。友人や親族の妊娠・出産を素直に祝福できず、おめでとうと言うことができませんでした。おめでたいことなのに、素直に喜べないことで自身に苛立ってしまうこともありました。旦那との溝は深まるばかりで離婚も考えました。夫と何度も喧嘩もしましたが、その都度話し合いもしました。赤ちゃんがお腹に来てくれた意味や、私たち夫婦の今1番大切にすべきことを考えた時に、一度でもお腹にきてくれた子のために私たち夫婦でその子のきょうだいが欲しいと夫婦で気持ちがそろいました。元々子どもができ辛い体質もあったので婦人科に通い、排卵誘発剤を出してもらったりして妊活をしました。
本の支え
流産後、次の子がほしいなと考えていましたが、なかなか次の子がきてくれませんでした。やはり、多嚢胞性卵巣症候群による不妊症なのかなって思っていましたが、一人目の子が、自然に来てくれたことからきっと次の子も自然に来てほしい、来てくれると思って自然妊娠を望んでいました。本屋さんに行って、不妊症についての本を探していたら、たまたま目に入った本が池川明さんの、「ママ、さよなら。ありがとう天使になった赤ちゃんからのメッセージ4」という本をすぐに購入し読みました。その本には流産してしまった方や、死産してしまった方のお話が掲載されていて、赤ちゃんからの不思議な体験をしたことなどが載っていました。心に残った所を紙に書き出し、読み終わってから、書き出した所を読み返したりしていました。その本に出会えて初めて私だけじゃないんだと思えました。
※4:書籍:「ママ、さようなら。ありがとう」:産科医である池川明氏、日本でただ一人の胎内記憶の研究者でもある著者が、流産・死産した赤ちゃんからメッセージを受け取ったお母さんの体験談を交えた「命」の話。出版社:二見書房
亡くなってしまった意味
まだまだ私が人間として未熟なので、母になるということはどういう事なのかを、自分の命に変えてこの子が教えてくれたのかなと思っています。流産してから、私が多嚢胞性卵巣※3ということがわかりました。そのため、妊娠しずらかったにも関わらず、この子を授かれたことが本当に奇跡だったのかなって思っています。
流産後の私は、クヨクヨしてしまうことも多く、現実逃避していました。私のお腹に来てくれたこの子の存在を無かったことにしてしまうのではないかと不安になる時がありました。そのため、親としてこの子にしてあげられることは何だったのかと考えた時に「供養すること」かなと思い、出産予定日の日に水子供養をしました。「お腹に来てくれてありがとう、もうママ大丈夫だよ」って伝わってくれたらいいなって思っています。前を向いて、いつかまた私のお腹に戻ってきてねと願っています。
※3:多嚢胞性卵巣症候群とは:「両側の卵巣が腫大・肥厚・多嚢胞化し、月経異常や不妊に多毛・男性化・肥満などを伴う症候群」と定義されています。液体で満たされた袋状の病変(嚢胞)が卵巣に多数生じ、卵巣が腫れて大きくなることにちなんで名づけられました。女性の約5~10%にみられ、一般的な不妊症の原因となっています。引用・日本産婦人科医会・多嚢胞性卵巣
天使ママへ
流産などで赤ちゃんを亡くされた女性は、どうしても自分を責めてしまうと思います。でも、絶対に自分を責めないでください。私も流産した当時は、とても辛くて私の全てを失ってしまった気がしました。でも、今思えば(流産から5年)、わが子にたくさんのことを学ばせてもらった気がします。 同じ命なのに死産や流産はタブー視されてる社会なのは、なんでだろうってずっと思っていました。私も妊娠したのに、ママなのに、なんで亡くなってまった子どものことを隠さないといけないのって。でも、今は、隠さなきゃいけないなんてことはないと思っています。自分自身が亡くなった子どものことを想ってれば立派なママだ!って思えるようになったら、とても気持ちがスッキリしました。そう思うと、今でもわが子を思い出す時はとても愛おしい気持ちになれます。きっとママの想いはわが子に伝わっています。そういう想いで、気持ちで、愛を届けてあげたいと常に思ってます。
もう一つ、「流産」について事前に知っていたら良かったのになって思いました。流産した当時に知っていたら、夫婦のすれ違いやこんなにも孤独にならなかったのかなって思っています。だから、一人でも多くの人に流産について、知ってほしいですし、流産は悲しくて辛い経験でしが、その経験がも垂らす影響も大きいことも知ってほしいなって思っています。
⚠️いのちのSTORYは、当事者の実体験を記しています。そのため、なるべく当事者の言葉をそのまま使用することを重視しています。
⚠️お子さまを亡くされたご家族が深い悲しみの中、他にお子さまを亡くされたご家族の力になれればという想いから、記事にご協力くださいました。ご家族のご経験やお子さまへの想い・気持ちを守るために、当サイトの内容や画像の無断転載・無断使用は固く禁じております。ご理解いただけますと幸いです。