プロフィール
Lisaさん/1986年生まれ
Instagram:https://www.instagram.com/healing_reiki_lisa_/
2015年:第一子長女出産。
2020年10月:第二子を妊娠21週で子宮内胎児死亡による死産※1
インタビュー時:死産後4年2ヶ月
#死産 #子宮内胎児死亡 #原因不明
自分には「起こらないこと」と思っていた
妊娠19週くらいの時、軽度の腹痛がありました。陣痛でなく生理痛のような痛みでした。胎動もなんとなく感じない気がするなと思いつつ、気のせいかなと思い、次の妊婦健診まで様子をみていました。妊娠21週の健診で、医師から「赤ちゃんの心臓がとまっています」と言われました。宣告された時は頭が真っ白になり、ただただ現実を受け入れられませんでした。医師は「赤ちゃんをすぐに(お母さんの体の)外に出してあげないと、お母さんが危ない」という説明をし、その2日後に出産をすることになりました。
※1 死産とは、妊娠12週以降の胎児が死亡した場合を指します。
一生忘れられない日
亡くなったわが子を産むというのはこんなに辛いことなんだというのを初めて知りました。本来なら、嬉しいはずの出産なはずなのに、こんなに悲しい出産(亡くなった赤ちゃんを産む、産まなければならない)ってあるんだなって。病棟は他の赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、「私の赤ちゃんはなぜ亡くなってしまったのだろうか」って自分をずっと責めていました。陣痛中も出産中も泣きいてばかりで、一生忘れられない日となりました。そんな私に、助産師さんが、「ママは何も悪くないよ」と何度も言ってもらいました。それまでは、仕事しすぎたから、動きすぎたから赤ちゃん、亡くなってしまったのかなって自分を責めていました。でも、一番近くで出産をお応援してくれて、泣いてばかりいた私に、この言葉がとても心に沁みました。
赤ちゃんを連れて自宅へ帰りました。家族4人で同じ部屋に寝たり、家族みんなで何度も触って話しかけたりして、最後の時間まで家族みんなとの時間を大切にすごしました。火葬後の帰り、遺骨をもって家族みんなで公園に行ったことを思い出しました。
わが子の死を受け入れるということ
実は、わが子が亡くなった日(子宮内胎児死亡が分かった日)が、ちょうど私の誕生日でもありました。今でも私の誕生日がくるとこの子のことを思い出します。無理に忘れようとせず、泣きたい時は思いっきり泣く。思い出したくなったら思い出して、「私たちの元に来てくれて本当にありがとう」と感謝をしています。
親も子もお互いに会えたことに感謝している
亡くなった子どもに「元気」という名前をつけました。別の世界で過ごす元気くんは、私がずっと泣いてばかり、悲しんでばかりいたら、この子はどう思うのかなって考える日が続きました。元気くんは亡くなってしまったけれど、私たちのもとにきてくれたことに感謝したいなって思えるようになってから、悲しい気持ちばかりではなくむしろ感謝の気持ちが大きくなり、私に笑顔も増えた気がします。きっと元気くんもママやパパ、お姉ちゃんに会えて幸せ、感謝しているって思っていると思うんです。
死産は私にとって必要な経験でした
死産は悲しい経験でしたが、私にとって必要な経験でもあったのかなと思います。命に対してこんなに深く考えることはなかったと思います。命の大切さを教えてくれました。素敵な体験をさせてもらった事に感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に
質問:同じようなご経験された方へのメッセージなどがありましたら教えてください。
「辛い事も苦しい事も我慢せず 自分の気持ちや感情に蓋をせず 自分に寄り添ってあげてください。 いつか必ずこの経験が自分にとって素敵な経験だったと思える日が必ずきます。 赤ちゃんは どんな状態でも ママの元にこれた事が幸せだったと思います。」
⚠️いのちのSTORYは、当事者の実体験を記しています。そのため、なるべく当事者の言葉をそのまま使用することを重視しています。
⚠️お子さまを亡くされたご家族が深い悲しみの中、他にお子さまを亡くされたご家族の力になれればという想いから、記事にご協力くださいました。ご家族のご経験やお子さまへの想い・気持ちを守るために、当サイトの内容や画像の無断転載・無断使用は固く禁じております。ご理解いただけますと幸いです。