プロフィール
Nさん/1992年生まれ/事務員
2020年3月:第一子出産
2023年5月:第二子を妊娠7週で稽留流産
2024年4月:第三子を妊娠16週で絨毛膜羊膜炎による後期流産
#流産 #稽留流産 #後期流産 #絨毛膜羊膜炎
稽留流産
二人目は、妊娠7週目で稽留流産※1となってしまいました。赤ちゃんの心拍を一度産婦人科で確認した後、次の妊婦健診では心拍が止まってしまい、そのまま処置となりました。医師からは、「(稽留流産の)処置の翌日から仕事してもいいですよ」と言われてしまった時は、なんというか、やるせなくなりましたね。心もついていけていないのに、仕事をしなければならないのかって。
流産について職場には伝えていたものの、2週間のお休みをもらった後復帰しました。復帰後は、深い喪失感に襲われていましたが気持ちを押し潰して、日々を過ごしていました。
※1:稽留流産とは、胎児の姿や胎児の心拍が確認できず、胎児が子宮内にとどまっている状態です。そのため、稽留流産の場合には子宮内容物の自然排出を待機するのか,子宮内容除去を行うべきかについて個々の患者の状態に応じた選択が必要となる。
日本産婦人科医会・早期流産
絨毛膜羊膜炎
流産してから半年後に、3人目を授かりました。それまでは順調だったのですが、妊娠15週に入った時に、生理痛のような腹痛と少量の出血(茶色っぽい)があった為、かかりつけを受診しました。医師の診察は問題ないとのことで薬を処方され帰宅となりました。その翌日、再び腹痛があったため再度受診しました。赤ちゃんに問題はないけれど、念の為自宅で安静にしていてくださいという指示がありました。その翌日の妊娠16週、朝から腹痛と赤い出血がありました。ポンっという音と同時に破水してしまい、慌てて病院へ向かいました。病院へ着くとすぐに医師が診察してくれました。「羊水がほとんどないため、赤ちゃんは助からない可能性が高いです」と医師に言われ、そのまま入院となりました。その後、1日陣痛が来るのを待ったのですが来なく、2日目に陣痛促進剤を打ち始めることになりました。その翌日、陣痛が始まり、出産となりました。あまりいきまず出てきてくれました。後から分かったのですが、胎盤がボロボロになっていたため、絨毛膜羊膜炎※2と診断されました。病院の助産師の方は、火葬までの流れを丁寧に教えてくれたり、陣痛中は赤ちゃんとの思い出についてなど話をきいてくれた。赤ちゃんを病室に連れてきてもらって、子供番組をつけて過ごした。棺桶に入れるように、長女と折り鶴をおったり手紙を書きました。長女は、亡くなった子の姿を見て、すごく可愛いと言ってくれました。もう会えないのが寂しいって泣いていました。火葬当日には、病院で準備してくれた折り鶴や花を棺桶に入れてくれた。16週で生まれたわが子は、150gでしたが、足と手の指もしっかり5本ありましたし、お顔もしっかりしていました。とても可愛かったです。
※2:絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)は、妊娠中期以降におこることが多く、感染が進行すると子宮収縮が頻回になり、破水、子宮頸部熟化(子宮の入口が柔らかくなる)をおこし、子宮口が開き、早産を引き起こす原因となります。また早産の約半数がこの絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)が原因だと言われています。絨毛膜羊膜炎
産科医療補償制度・子宮内感染について
* Lenckiらによる臨床的絨毛膜羊膜炎の診断基準は次のとおり。母体に38.0℃以上の発熱が認められ、 かつ①母体頻脈≧100
回/分 ②子宮の圧痛 ③腟分泌物・羊水の悪臭 ④母体白血球数≧15,000/μLの1項目以上を認めるか、母体体温が38.0℃未満
であっても①から④すべてを認める場合、臨床的絨毛膜羊膜炎と診断する。
気持ちを留めていた
今回、産後休業※3があったので8週間、体と心を休ませようって思っていました。しかし、赤ちゃんは本当に助けられなかった命だったのかなと疑問と悔しさが勝っていました。腹痛と出血というサイン‥‥。2度も受診したのに赤ちゃんを助けてあげられなかった悔しさと悲しさ。医師への怒りもまさってきて。でも、この怒りや悲しみ、悔しさはどうしたらいいのかもわからず自分の心に留めおくことしかできませんでした。夜眠れない日が続き、胸の痛みや息切れなどのパニック症状を起こすこともあって、「私、ゆっくり体と心を休めないと」って。そこまで自分を追い詰めてしまっていました。長女が園に行っている間、とにかくリラックスできるようにと、一人で温泉に行ったりして過ごしていました。
※3 産後休業:出産の翌日から8週間は就業することができません。ただし、産後6週間を経過後に本人が請求し、医師が認めた場合は就業することができます。(労働基準法第65条) 厚生労働省委託・働く女性の心とからだの応援サイト
周囲のサポートと悲しみとの向き合い方
夫は引きこもりがちな私を少しずつ外に出れるようにとドライブに連れてってくれたりしました。周りの方は、私の身体のことを第一に考え,少しでも休めるようにと家事や育児を手伝ってくれサポートしてくれました。辛いものはいくら考えても辛いので、泣きたい時に泣いて、過ごす。気分転換の方法は、自分のやりたいことをひたすらして気を紛らわしていました。私はこれしか向き合い方が見つかりませんでした。
最後に
質問:赤ちゃんのいのちが宿った意味をどう受け取られていますか?
初期流産の経験後、ホルモンバランスが崩れて生理が乱れ、なかなか妊娠できなくて、次の子を諦めかけてたときにお腹に宿ってくれました。「大丈夫だよ、妊娠できるんだよ」と教えてくれた気がします。また、3人目の妊娠中も仕事に育児に家事にと、無理をしすぎていました。「ママ、少し身体を休めてくれ」と教えてくれた気がします。そう教えてくれなかったら、自分のからだを大切にしてあげられていなかったと思います。
⚠️いのちのSTORYは、当事者の実体験を記しています。そのため、なるべく当事者の言葉をそのまま使用することを重視しています。
⚠️お子さまを亡くされたご家族が深い悲しみの中、他にお子さまを亡くされたご家族の力になれればという想いから、記事にご協力くださいました。ご家族のご経験やお子さまへの想い・気持ちを守るために、当サイトの内容や画像の無断転載・無断使用は固く禁じております。ご理解いただけますと幸いです。