プロフィール
Kさん/1997年生まれ
2023年9月:第一子の長男を妊娠17週1日で中期中絶
2024年8月:第二子出産
インタビュー時:中期中絶から1年8ヶ月
#中期中絶 #body stalk anomaly #臍帯ヘルニア #腹壁破裂 #初産
とても稀な重い病気で、予後は絶望的
朝方、妊娠検査薬で陽性反応が出たときのことを、今でもはっきりと覚えています。心の底から嬉しくて、これから始まる新しい命との日々に胸が高鳴りました。妊娠初期では、転職とも重なり、不安や緊張の中での毎日でしたが、「あなたのために頑張るからね」とお腹の赤ちゃん(男の子)に語りかけながら、必死に悪阻(つわり)にも耐えていました。息子と夫と3人で過ごす未来の生活を、何度も何度も想像しては、幸せな気持ちでいっぱいになっていました。
しかし、ある妊婦健診で息子に「脱腸」の疑いを指摘されたため、専門の病院へ転院することになりました。そこで告げられたのは、「臍帯ヘルニア」や「腹壁破裂」など、難しい病名の数々。それでも私は、「どんな障がいがあっても、生きていてくれればそれでいい」と、心からそう願っていました。
けれど、最終的に診断されたのは「body stalk anomaly(BSA:ボディストークアノマリー)※1」という、非常に稀で重い病気でした。予後は絶望的で、生まれても長くて数時間しか生きられない――そう医師から伝えられました。そのとき、目の前が真っ暗になり、何も考えられなくなりました。担当医でさえ、この病気のエコーを初めて見たとおっしゃっていたほど、珍しいものということでした。
※1:body stalk anomaly(BSA:ボディストークアノマリー)とは、関東連合産婦人科学会によると、胚外体腔の遺残から生じる病態であり,超音波検査上,腹壁の欠損,脊柱後側彎,臍帯短縮を特徴とする.有効な胎児新生児治療はなく一般に予後は絶対不良である。
関東連合産婦人科学会・BSA
3つの選択肢と、ひとつの決断
医師から告げられたのは、中期中絶を選ぶか、出産してすぐに看取るか、お腹の中で自然に亡くなるのを待つか――。私たちに与えられた選択肢は、この3つでした。しかも、その決断にはタイムリミットがあり、深く考える時間も多くはありませんでした。どの選択をしたら息子が苦しまずにすむか、一つ一つの選択肢が息子にとってどんな影響があるのかが分からず、担当医に何度も質問を繰り返しました。その中で、特に悩んだのが「今、中絶するのと、出産後に亡くなるのとでは、赤ちゃんにとってどちらが苦しくないのか?」という問いでした。担当医からは、「今の方が苦しみは少ないかもしれない」との答えが返ってきました。
エコーでは息子が元気に動いている姿が映し出されているのに、この子はこれから命を終えるんだ――そんな現実が、どうしても受け入れられませんでした。「私がこの子を殺してしまうんだ」と、自分を責める考えばかりが浮かび、心は張り裂けそうでした。
中期中絶という選択
医師の言葉に背中を押されるように、私たちは中期中絶を決意しました。
その後、両親や職場の方に説明をするたびに、「もうこの子は助からない」、「中期中絶をします」と何度も繰り返して説明しなければならず、そのたびに胸が張り裂けそうでした。お腹の中で生きている息子にこんな言葉を聞かせたくない、そう思いながら、私は家で毎日ひとりで泣いていました。
「もうこの子と一緒に生きていく未来はないんだ」――そう実感したときの絶望は、言葉になりませんでした。何もかもが真っ暗で、人生を終わらせたいとまで思ってしまったときもありました。
「男の子だね、とってもかわいいね」
出産のための処置で、2回目のラミナリア後に促進剤の点滴を開始して出産をする予定でした。しかし、2回目のラミナリア交換から数時間後、突然、陣痛が始まりました。促進剤を使っての分娩予定だったため、私も夫も、そして病院のスタッフの方々も、突然の出来事に大慌てでした。注射が苦手で、怖がりな私のことを、もしかしたら息子が気遣ってくれたのかな――そんなふうに勝手に思っていました。
そして、陣痛が始まってから約5時間後の22時20分、息子はとてもきれいな身体で、私たちの元に産まれてきてくれました。
出産後、病院の方が丁寧に息子をきれいにしてから、私たちのもとへ連れてきてくれました。息子は脱腸などの影響で、性別は最後まで分からないかもしれないと聞かされていましたが、初めて会った瞬間、「男の子だ」とすぐに分かりました。「男の子だったんだね」「可愛いね」――そう言って、夫と2人で泣きながら喜んだあの瞬間のことは、一生忘れられません。
もしかしたら生きているんじゃないか、そう思ってしまうほど、息子はとても穏やかで可愛らしい顔をしていました。でも、その小さな命は、すでに静かに息を引き取っていました。
家族3人の時間
事前に病院には、「手足型を残したい」とお願いしていたので、出産後すぐに、病院の助産師の方が、息子の小さな手と足の形を丁寧に取ってくれました。
病室で息子に、たくさん話しかけました。「会えて嬉しいよ」「大好きだよ」――そんな言葉を、何度も、何度も。
家族3人で一緒に寝たり、息子へのプレゼントを渡したり、写真を撮ったり。今の私たちにできることを全部、惜しみなく注ぎました。息子と一緒に退院し、住んでいた家の中や、窓から見える外の景色も、息子に見せてあげることができました。「ここがあなたの家だよ、あなたの家族だよ」と。
とにかく、私と夫、そして息子。この家族3人で、「やりたい」と思ったことを全部、心を込めてやりました。一緒にいられるこの時間が、どれほど貴重で、かけがえのないものか、私たちは噛みしめるように感じていました。
息子の成長を見届けたかった
息子の命が宿った意味については、正直に言えば、まだ私にはよく分かりません。「命が宿るのには意味がある」とよく言われますが、私はただ――息子を産み、育てて、どんな大人になるのかなって、一緒に生きて息子の成長を見届けたかったです。それが本心。それでも、息子が私を選んで、お腹に来てくれたことは、何よりも嬉しくて、愛おしい出来事でした。
まだ向き合いきれてないけれど、心の中にはいつも息子がいる
質問:息子さんを亡くした悲しみと、どう向き合っているのでしょうか?
――正直に言えば、まだ向き合いきれていませんし、今はまだ向き合いたくない自分もいます。私はもともと、自分の気持ちを素直に人に伝えるのが得意ではありません。けれど、唯一、夫には本当の気持ちを話すことができます。だからこそ、苦しい思いや悲しみを、言葉にしてすべて夫に伝えています。
ひとりの時には、携帯のメモ帳に自分の気持ちを書き出すこともあります。言葉にして外に出すことで、少しずつ整理されていくように感じるからです。
また、息子の遺骨やメモリアルベア、お守りには、毎日声をかけたり、手を合わせたりしています。旅行に行くときは一緒に連れて行くなど、今も大切な家族として、息子を想いながら過ごしています。
前を向けない時があってもいい
質問:同じようなご経験された方へのメッセージなどがありましたら教えてください。
息子を見送ってから、もうすぐ2年が経ちますが、いまだに、1日に1回は息子のことを思い出します。そして胸が締めつけられるような苦しさや、「ごめんね」という気持ちが押し寄せてきます。あのときのことを思い返すと、今も涙が止まらなくなることがあります。
それでも――少しずつ、ほんの少しずつですが、ほかのことにも目を向けられるようになってきました。もちろん、すべてを忘れることなんてできません。
きっと、これからも時々は、過去に心を引き戻されると思います。でも、それでいいんだと思います。当時のことを思い出したくない日があっても、前を向けない時があっても、それは「ダメなこと」じゃない。それも全部、愛していた証だと思っています。
今、もし私と同じような経験をしている方がいたら、過去の自分自身にも伝えたいです。
「本当に、よく頑張ってるよ。」
それだけで、充分すぎるくらいです。
⚠️いのちのSTORYは、当事者の実体験を記しています。そのため、なるべく当事者の言葉をそのまま使用することを重視しています。
⚠️お子さまを亡くされたご家族が深い悲しみの中、他にお子さまを亡くされたご家族の力になれればという想いから、記事にご協力くださいました。ご家族のご経験やお子さまへの想い・気持ちを守るために、当サイトの内容や画像の無断転載・無断使用は固く禁じております。ご理解いただけますと幸いです。