プロフィール
Kさん/1986年生まれ/看護師
2006年:第1子の長女出産
2009年:第2子の次女出産
2025年1月:第3子の長男を妊娠39週で子宮内胎児死亡による死産
インタビュー時:死産から5ヶ月
#死産 #臨月死産 #子宮内胎児死亡 #原因不明 #歳の差きょうだい
産まれてくるまで、あとほんの少しだったのに
第2子となる次女を出産して以来16年ぶりの妊娠でした。今回は、高齢出産といういこともあったので、家族全員で流産の覚悟もしていましたが、妊娠経過はとても順調で息子はすくすく成長してくれていました。陣痛がいつくるのか分からなかったので、計画分娩を予定していました。
妊娠39週に入ると、胎動が少ない、弱い感じがしていましたが、出産が近い兆候の一つに「赤ちゃんの頭が骨盤内におりてきたからかな‥」なんて思っていました。妊娠39週2日に定期の妊婦健診があり、そこでは、NSTや経腹エコーで息子が順調に成長していて、元気なのを確認していました。
その2日後の妊娠39週4日に、誘発分娩のために、いつも受診している産婦人科に行きいつものように診察をしていると、「赤ちゃんの心臓が止まっているね」――と告げられ、紹介した総合病院へ転院となりました。
現実を受け入れられない中での出産
そのまま入院となり、医師の指示で促進剤を使って出産することになりました。しかし、すぐに陣痛は起きませんでした。どこかで、「もしかしたら、何かの間違いかもしれない」と思っていた私にとって、その静かな時間は、まだ夢の中にいるようでした。それから2日が過ぎ、まるで息子が「今だよ」と合図してくれたように、自然に陣痛がやってきました。この病院は本来、面会に厳しい制限があるところでした。ですが、医療スタッフの皆さんは、私たちの状況をとても理解してくださり、特別に面会の人数や時間の制限を解除してくれたのです。そのおかげで、夫と2人の娘たちに立ち会ってもらいながら、私は息子を産むことができました。分娩室に入ってきた娘たちの手のぬくもり、夫の涙声、そして息子が生まれてきた瞬間のあの静けさがありました。
家族みんなで息子のお世話ができた
退院は翌日でしたが、その短い入院期間の中で、私たちはたくさんのことを息子にできたと思っています。息子の小さな身体を家族みんなで沐浴し、優しく体を拭いてあげて、髪も整えてあげました。生まれたことを記念に残したくて、手型や足型をとったり、写真を撮ったりもしました。また、息子と過ごす最後の時間には、「棺に何を入れてあげようか」と家族みんなで相談しながら選びました。
お手紙、お花、母乳を含ませたガーゼ、新幹線の絵本――どれも私たちの「愛しているよ」という想いを込めてプレゼントしました。そして、母乳を止める薬をいつ飲むかも、病院の方が私に委ねてくれました。私の気持ちの準備が整うまで、無理に急がせることなく、ただそっと寄り添ってくれたのです。
小さなぬくもりと、家族で過ごした時間
出産の翌日に退院となりました。同時に、息子も一緒に家へ連れて帰りました。リビングにお布団を敷いて、息子を真ん中に、家族みんなで川の字になって寝ました。その時間は、ほんの少しの間でも「家族として一緒に過ごせた」と思える、かけがえのないひとときでした。妊娠中に、私が息子のために編んだファーストトイのぬいぐるみを、そっと息子の隣に置きました。それを見るたび、「あなたの誕生を心から楽しみに、用意したんだよ」と伝えたくなりました。息子がいる間は、できるだけ明るく過ごそうと、食事のときには「乾杯」をして、少しでも笑顔になれるように心がけました。息子の写真、息子と家族の写真をたくさん撮りました。抱っこしたり、小さな手を握って冷たい手を温めたりもしました。そして、家族ひとりひとりが息子へ手紙を書き、棺に入れました。言葉にするのは簡単ではなかったけれど、それぞれの想いを込めて、心からのお別れを伝えていました。


確かに感じた「家族の絆」と「命の重さ」
いよいよ別れの時が近づいていることを、身体の傷みとともに実感し、心がぎゅっと締めつけられました。小さな身体にそっと手を添え、あたたかく包み込むようにして、「会えてよかったよ」「ありがとうね」と声をかけました。
息子が旅立ったことは、今も胸が痛みます。けれど、悲しみの中にも確かにあった優しさや、家族の愛の深さを、私はこれからもずっと忘れないと思います。そこには確かに、「家族の絆」と「命の重さ」がありました。あの時間があったから、あの子が来てくれたから、私は今も、「母」として胸を張って生きていけている気がします。
悲しみんい中でも、愛に包まれていました
家族やまわりの人たちは、私の痛みを自分のことのように受けとめてくれていました。本当は家族みんなも、心の奥ではとても悲しかったはず。けれど、私を少しでも元気づけようと、明るくふるまってくれていたのが分かりました。言葉にしなくても伝わる想いが、静かに私の心を支えてくれていたのだと思います。
火葬の日には、私の両親と妹もかけつけてくれました。小さな棺を前にして、誰もが言葉を失いながら、それでも息子の存在をそっと胸に刻んでいるように見えました。そのぬくもりは、確かにそこにありました。
娘たちも、娘たちなりに一生懸命に私を気遣ってくれました。私の手を握ってくれたり、そばに寄り添ってくれたり。「悲しいときは、泣いてもいいんだよ」――そんな言葉をかけてくれた日もありました。私が泣くことを許してくれていました。
誰もが、無理に元気づけようとはせず、私の悲しみに寄り添い、そっと見守ってくれました。ひとつひとつの小さな優しさが、私の心にじんわりと染みていったのを今でも覚えています。悲しみの中でも、確かに私はたくさんの愛に包まれていました。
「私だけではない」と知った時から
息子を亡くしたあの日から、私は毎日泣いてばかりでした。朝が来ても夜が来ても、ただ涙が止まらなくて。
外に出るのも、家にいるのも辛くて、どこにいても妊娠中の記憶が押し寄せてきて、胸がぎゅっと痛くなります。
そんな中、SNSでつながった天使ママたちの存在が、私を支えてくれました。同じように大切な赤ちゃんを亡くした方たちと出会い、話すことで、「この世界で苦しんでいるのは自分だけじゃないんだ」と思えたんです。その気づきは、張り裂けそうだった私の心を、そっと抱きしめてくれるようなものがありました。
産休が明け、職場に復帰してからは、忙しさに救われているところもあります。ただ前を向いて、目の前のことに集中する。そうすることで、なんとか悲しみに押しつぶされずに、生きていけているのだと思います。今もなお、心の奥にはぽっかりと穴があいているような感覚があります。でも、あの子と過ごした日々を忘れずに、今は少しずつ、少しずつ歩いています。
十分頑張ってるよ
質問:同じようなご経験された方へのメッセージなどがありましたら教えてください。
今を生きている、それだけで十分頑張っていると思います。つらいとき、無理に前を向かなくていいと思います。涙があふれる日が続いて、「どうして私だけがこんなに苦しいの?」そんなふうに思う日もあるかもしれません。でも、あなたはひとりではないです。と伝えたいです。
⚠️いのちのSTORYは、当事者の実体験を記しています。そのため、なるべく当事者の言葉をそのまま使用することを重視しています。
⚠️お子さまを亡くされたご家族が深い悲しみの中、他にお子さまを亡くされたご家族の力になれればという想いから、記事にご協力くださいました。ご家族のご経験やお子さまへの想い・気持ちを守るために、当サイトの内容や画像の無断転載・無断使用は固く禁じております。ご理解いただけますと幸いです。