プロフィール
そらくんママさん/30代後半
2010年:第一子出産
2013年:第二子出産
2025年:第三子(男の子)を妊娠22週で死産
#臍帯過捻転 #子宮内胎児死亡
死産の原因
妊娠中期から出産前まで、私が通っていた病院では、提携している別の病院で4Dエコーを受けられる仕組みがありました。前回の健診から3週間後に予約が取れ、初めての4Dエコーをとても楽しみにしていました。スマホで赤ちゃんの動く様子も見られると聞き、心待ちにしていました。しかし、妊娠22週の健診で、赤ちゃんの大きさを測定して、説明を受けているとき、医師から「残念ですが…赤ちゃんの心臓は止まっています」と告げられました。突然の言葉の意味を、すぐには理解できませんでした。
分娩後の胎盤を病理検査に出しました。死産の原因は、「臍帯過捻転」でした。それ以外に大きな異常は見つかりませんでした。
医師やスタッフの配慮のおかげで安心して出産に挑めました
旦那さんは本来、出産の日まで立ち入ることができないという病院側の決まりでした。しかし、「入院から退院まで個室から出ない」という条件で、特別に過ごせてもらえるように病院に配慮してもらいました。入院後は、まずラミナリアで子宮口を広げる処置をしましたが、それがとても痛みが強くて。でも、医師や助産師さんなどのスタッフの方がずっと声をかけて応援してくれたり、2回目のラミナリア処置の際には事前に痛み止めを使ってくれたりと、寄り添ってくれて心強かったです。医師の配慮によって、分娩室ではなく部屋で分娩となりました。そのため、辛い陣痛の中、移動することなく済みました。個室にいられたので、入院から退院まで、他の妊婦さんに会うこともなく過ごせたことも、私にとって大きな安心でした。
家族や職場の方からの言葉
赤ちゃんが亡くなっているという宣告を受けた日、旦那さんが病院まで迎えに来てくれました。それから赤ちゃんの火葬の日まで、ずっと仕事を休んで側にいてくれました。
また、私の職場には死産の宣告を受けた日に連絡をしました。すると「仕事のことは何も考えなくていい。大切なのはちゃんと食べて、寝ることだよ」と言ってくださり、その言葉にとても救われました。
見送るまでの時間
赤ちゃんを迎える準備として、亡くなった赤ちゃんを納める箱を買いに行きました。そして、家族と一緒に撮った写真を印刷したり、小さなおもちゃを選んだりしました。また、赤ちゃんと一緒に家に帰ってきた時のために、小さな仏壇スペースを用意し、お線香や蝋燭も買い揃えました。本当は赤ちゃんの産着を買う予定でしたが、悲しさのあまりお店に入ることもできませんでした。結局、タオルに包んであげました。見送るまでの準備時間は、ずっと赤ちゃんのことを思いながら過ごし、最後には赤ちゃんへのお手紙を書きました。

スタイは妊娠中に作ったものです

最愛の祖母に寄り添えた時間
赤ちゃんが旅立ってからちょうど1か月後、最愛の祖母も後を追うように亡くなりました。祖母は病気を抱えてはいましたが、家では元気に過ごしていて、赤ちゃんの火葬の日には電話で「悲しい」「辛い」と話してくれました。そのときは、まさか祖母の死が近いなんて少しも思っていませんでした。
私は小さい頃からおばあちゃん子で、ずっと祖母と暮らしてきました。祖母の背中を見て育ち、中学生のころの夢は「介護士」。その夢を叶えて、今も介護の仕事を続けています。今年で20年目になります。仕事は夜勤も多く、まとまった休みはなかなか取れません。そんな中で赤ちゃんを死産し、その2週間後に祖母が入院しました。ちょうど私は産後休業中だったので、毎日片道2時間かけて祖母に会いに通いました。家には亡くなった赤ちゃんがいたので、できるだけ離れたくなく、家から通うことを選びました。途中で実家に寄り、祖父を車に乗せて一緒に病院へ行く日もありました。
病院では、祖母に会ってマッサージをしたり、少しでも食事が摂れるように介護を続けました。しかし最期のとき、祖母は誰にも看取られることなく静かに旅立ちました。その後のエンゼルケアは、すべて私がさせてもらいました。
赤ちゃんを授かり、そして亡くしたことで、初めて長期の休みを得て祖母に寄り添うことができました。もし働いていたら叶わなかった時間です。祖母に最期まで寄り添えたのは、赤ちゃんのおかげだったのかもしれません。きっと「大切な人のそばにいられるように」と赤ちゃんがメッセージを届けてくれたのだと思っています。
心のよりどころ
子どもの死、この事実を受け止めるのは簡単ではなかったけれど、Instagramで自分の想いを言葉にして発信することで、「赤ちゃんが確かにここにいた」という証を残せているように感じました。同じように赤ちゃんを見送った「天使ママさん」たちの投稿を読んだり、繋がったりするなかで、「自分はひとりじゃない」と思えるようになり、少しずつ気持ちを受け入れられる部分も増えていきました。
赤ちゃんを育てられなかった気持ちを抱えながらも、「今の自分にできること」を探して折り紙を折り、そこに想いを込めています。
また、月命日には花を選び、花言葉を調べて赤ちゃんとのつながりを感じています。そうやって日々、心の拠りどころを見つけながら過ごしています。
家族との温度差
旦那さんは「気持ちは分かるけど、同じではない」と言い、どうしても温度差を感じてしまってイライラしてしまうときもありました。
両親に、亡くなった赤ちゃんに会ってもらいましたが、そのすぐ後に「来週の食事会はどうする?」と赤ちゃんをまるで避けるかのような態度をとられてしまい、信じられない気持ちになりました。赤ちゃんの顔を見てすぐに帰ってしまったことも、私にとっては悲しくて仕方ありませんでした。
さらに両親は火葬には来てくませんでしたし、四十九日のことを伝えても「そっか」の一言だけでした。そのうえ、私の前で、もうすぐ一歳になる孫を可愛がる姿があり、私の気持ちはまったく理解されていないように感じました。私の息子の話をしてくれることもなく、写真を見せたら「そんなの見せるもんじゃない」と言われました。赤ちゃんの産着を買うことができず、裸のまま写した写真しかなかったこともあって、余計に心が痛みました。
「ひとりではない」と思えることが支えになっている
Instagramで「天使ママさん」の存在を知り、自分から声をかけてみたり、自分の気持ちを発信したりする中で、「誰かの役に立ちたい」と思うようになりました。それはまるで、お空に帰った息子からのプレゼントのように感じています。――「ママにできることがあるよ。悲しい人に寄り添ってあげて」と言ってくれているように思えるのです。
そう思うと、「私にはもっとできることがある」と前向きな気持ちが生まれます。悲しみに向き合いながら、自分の気持ちを整理して発信することで、心が少し穏やかになったり、その言葉を受け取ってくれる人とのご縁がつながったり。そんな中で「ひとりじゃない」と思えることが支えになっています。そして、悲しい時には我慢せず、たくさん泣くようにしています。また、赤ちゃんの小さな産着があることを死産後に知りました。私のように、悲しみの中で買いに行けない方も多いのではないかと思います。そんな方に少しでも寄り添いたいと考え、少しずつ「小さく生まれた赤ちゃんの産着」を作り、病院へ寄付するボランティアを始めました。

同じような経験をされた方へメッセージ
わが子を亡くすことは、本当に言葉にできないほど辛いことですよね。
泣きたい時には我慢せずにたくさん泣いてください。辛い時には、分かってもらえる人や場所で思いきり吐き出して大丈夫です。決して我慢する必要はありません。
そして、食べられる時に食べて、眠れる時にはしっかり休んでください。無理をする必要もありません。
あなたはひとりではありません。どうか自分を責めないでください。そして、お空には可愛い我が子が、いつもあなたを見守り、誰よりも味方でいてくれます。
⚠️いのちのSTORYは、当事者の実体験を記しています。そのため、なるべく当事者の言葉をそのまま使用することを重視しています。
⚠️お子さまを亡くされたご家族が深い悲しみの中、他にお子さまを亡くされたご家族の力になれればという想いから、記事にご協力くださいました。ご家族のご経験やお子さまへの想い・気持ちを守るために、当サイトの内容や画像の無断転載・無断使用は固く禁じております。ご理解いただけますと幸いです。