プロフィール
Mさん/1980年生まれ
インタビュー時:死産から3ヶ月
2016年1月:第一子、妊娠8週で流産
2016年8月:第二子、妊娠10週で流産
2018年9月:第三子、妊娠6週で流産
2022年2月:第四子男児、妊娠30週3日で子宮内胎児死亡
STORY
出生前診断の結果が分かった当初、夫婦の間に大きな隔たりがあったというMさん夫妻。
出生前診断を受ける前後での気持ち、そして突然の息子さんとの別れについて話してくれました。
#不妊治療 #出生前診断 #ダウン症 #子宮内胎児死亡 #死産 #子宮筋腫 #染色体異常 #高齢出産
やっと授かった赤ちゃんでした
当時42歳になるというタイミングの妊娠でした。息子を授かるまで3年半にわたる不妊治療を行ってきました。その間に3回の流産を経験しています。とにかく、この3回の流産は精神的にきつかったです。2回目の流産後に、流産の原因かもしれない子宮筋腫を6個取り、2本の卵管は両方とも癒着しており、その上、卵管に水腫もあると医師から言われて、この水腫も取りました。その上で望んだ3回目の妊娠も、妊娠6週で流産してしまいました。
「もしかしたら、私は不育症なのかもしれない」と思い、検査をしましたが結果は、「そうとも言えない」といわれ、結局は高齢による染色体異常という結論になりました。
「子どもがいない人生も視野に入れていかないと」と思っていた矢先
流産を繰り返していた時期、私は他の赤ちゃんやお腹の大きな妊婦さんやマタニティーマークをつけた妊婦さんを自分の視界の中に入れないようにしていました。町中で出会った時はそっと距離をとるようにしていましたし、友人が妊娠や出産をしたという連絡があっても、返事はしましたが会いには行きませんでした。出産祝いは贈りましたが、赤ちゃん用品を見るのも辛かったので、出産を終えたお母さんに役立つものばかりを買って贈りました。
なのに、こんな状況でも赤ちゃんに近づくと自然と抱っこしたくなるんです。赤ちゃんをみて自然と微笑んでいる自分もいるんです。そんな自分に、私の場合は客観的に見たらすでに子どもが出来ない可能性の方が高いのだから、8割9割がた諦めなきゃと自分に言い聞かせていました。そろそろ子どもがいない人生も考えていかないとっ て。
そんな生活を始めておよそ3年半が経った頃に、移植した受精卵が4回目の着床をしました。この受精卵だけは、私の胎内で少しずつ成長してくれて、心拍や血流が安定していきました。
「心の準備」としての検査
子どもが大きく育つ可能性が出てくると、私は専門的な超音波検査を受けたいと思うようになりました。そのきっかけは2つあります。
1つ目は、不妊治療のための検査を受けていたクリニックの医師の中に、超音波検査の専門家がいたことでした。このような医師がいるのなら診て欲しいと。赤ちゃんに何か病気が見つかったとしても、おろす気持ちはありませんでした。これだけははっきりしていました。私は過去3回の流産で、身も心も本当に疲れきっていました。だから、お腹の赤ちゃんが育ってくれるだけで、本当に嬉しくて。流産せずに生まれてきてくれるだけでよかったんです。ただ、流産という恐怖って消えないんです。これまでの流産の原因はきっと染色体異常だと医師から言われていました。今回も、お腹の子に染色体異常があったら、妊娠初期はなんとか乗り越えたとしても、妊娠中期・後期になってから死産してしまう可能性もあると考えていました。だから、せめて「心の準備」はしておきたかったんです。まずは、染色体異常があるかどうかを知りたかったんです。
もう1つは、染色体異常があった場合の合併症のことでした。あらかじめ、合併症も含めて赤ちゃんの状態を出来るだけ正確に把握しておいた方が、万全の体制で出産に臨めると思ったんです。心臓に重い病気があったら、乳幼児の心臓病の専門の医師がいる病院で産みたいし、他の病気があると分かった場合も、その専門家の治療ができる病院で産みたいと思っていました。生まれてくる赤ちゃんのためにできることはできる限りのことはしたかったんです。検査を受けずに、産んだ後に始めて赤ちゃんの病気が分かったら、「妊娠中に検査していれば良かった、生んだ直後からもっとこんなことも出来たかもしれない」などという後悔をしたくなかったからです。
障がいを持つ人をみてきたからこそ
このように考えたのは、私がこれまで福祉の仕事をしていたというのも大きいかもしれません。障がい者や生活保護受給者などの就職支援を行っていたので、日頃から多くの障がい者に接していて、その人たちの生活について肌感覚でよく知っていました。どんな障がある人でも、その人なりに自立していく方法があるんだということを見てきました。中でも、ダウン症の人は、さまざまな支援制度が整っていて、自立の度合いも高く、人生を心から楽しんでいて、周囲の人を幸せにしてくれている。そんなダウン症の人たちの姿を、実際に多くみてきました。そのため、もし、お腹の赤ちゃんが障がいを持って産まれてきたとしても、きっとその子なりに自立していくと信じていました。
それに、なぜか今回の妊娠はどこか気楽な気持ちもありました。今回の妊娠は比較的、順調な経過を辿っていましたし、大丈夫という自信もありました。そんな気持ちで出生前診断を受けました。
超音波検査から分かったこと
妊娠13週、超音波装置を使用した胎児検査を行いました。プローブを握る若手の医師とは、これまで何度か不妊治療の際に顔を合わせていました。普段はあまり表情を表に出さない医師でしたが、この日ばかりは、その表情が曇ったのが分かったんです。超音波検査で染色体異常の確率を出すには、胎児が一定の体勢をとっているときに真正面から超音波を当て、首の後ろの厚み(NT:nuchal translucency:後頸部皮下浮腫)を正確に計測する必要があるようです。ところが、この日は、赤ちゃんがちょうど良い位置にこなかったので、30分の休憩を2回挟み、赤ちゃんが移動するのを待つなど、長時間の検査でした。途中で、医師が「う〜ん。これをどう判断するかだな」っと、つぶやくように言ったときは、心臓がどきっとなりました。
検査開始から、2時間後に医師から検査結果についての説明がありました。何度か計測を試みたものの赤ちゃん位置が悪く、NTを正確に測定できなかったということでした。少し厳し目にみたらNT2.9ミリ。さらに鼻の骨の形成が不十分でこの時期に欠損が見れるということは、母親の年齢を考え染色体異常の確率が上がると言われました。
そして、示された「染色体異常のある確率」は、13トリソミーが1/42、18トリソミー1/31、21トリソミー1/2という結果でした。医師からは、あくまでも確率なのできちんと確認したいのであれば確定診断が必要であることを告げられました。
確定検査の羊水検査で分かった異常
超音波検査から3週間後、総合病院の遺伝外来カウンセリングで羊水検査からわかること・わからないこと、検査のリスクや結果が分かってからの時間の過ごし方についてなどの説明を受けました。その4日後に、羊水検査を受けました。確定的な結果は、4週間後と言われ、何か異常があった場合にはそれよりも前に電話で連絡と言われ、その日以降は、電話がなるたびに胸の鼓動が速くなり、ヒヤヒヤしていました。
そして、羊水検査を受けてから2週間後のことでした。
病院からだな。と思って電話に出ると。やっぱり検査を受けた総合病院の医師からでした。電話があった時点で、私は、やっぱり何かあったんだなと思いました。電話口で医師が言いにくそうにしているのがわかりました。そして医師の口からは、「ダウン症です」と告げられました。仕事中の夫にも電話で伝えました。次の日に病院へ行って詳しい説明があると伝えると、夫は仕事の調整をしてくれました。
夫の反応
この晩、夫と2人で話し合いました。夫は、戸惑っていました。
この話し合いまで、正直なところ真剣に考えていなかったと言っていました。超音波検査を受ける時も、産むにせよ産まないにせよ、「後悔がないように」とだけ言われたことを思い出しました。超音波検査でダウン症の確率が1/2と報告したときは、「半分は大丈夫なんでしょう」と言っていました。
そんな夫は、今回の羊水検査の結果を伝えたときには、初めてこのことに真剣に向き合ってくれました。
夫からは、「正直、ダウン症と言われてショック」と言われました。これまでの夫は、町中でダウン症らしい人を見かけると目をそらすというタイプでした。そんな夫が、「親はかわいいと思うかもしれないけれど、産まれてきた子どもはどう思うんだろうか、幸せになれるだろうか」と言ったときは、とても嫌な気持ちになりました。なにを根拠にダウン症の人たちが幸せではないと言えるのかと問いただしたいくらい腹が立ちました。
戸惑ってしまうのは当たり前なのかもしれないとも思いました。私は仕事柄、障がいをもつ人と関わってきたから、ダウン症でも幸せになれると思えていたのかもしれない。だから夫に怒りを持ってしまったのかもしれない。でも知らないからこそ先入観や思い込みで色々と判断して欲しくなかったです。もっと色々なことを肌で感じて欲しい、調べてから言って欲しい言葉でした。
産むための準備
夫と話し合い、産むことを決めました。できる限り産まれる前の検査をしてもらい、重篤で生きていくことが難しい場合はあきらめることも視野に入れ、妊娠の継続を医師に伝えました。
この時点で、わかることを調べてもらうために超音波検査を受けました。画面に映る赤ちゃんの姿に、涙が止まりませんでした。お腹の中でグルグルと動く元気な様子を見たら、冷静に赤ちゃんの検査を受けようとしている私って、ただのエゴなのではないだろうか。この子を心から歓迎していない自分がいる気がしてきて罪悪感でいっぱいでした。でも、産みたいという気持ちもあるというさまざまな感情が湧き出てきました。
総合病院の超音波検査で分かったことは、心臓の一部が石灰化している可能性があり、穴も空いていそうと言うことでした。妊娠18週だったので赤ちゃんが小さくてこれ以上のことを調べるには限界と言われました。そのため、胎児診断専門のクリニックを受診しました。
そこでは、心臓に穴が空いている心室中隔欠損が見つかりました。その他に食道閉塞、十二指腸閉鎖が見つかりました。この医師からの言葉を聞いて心が晴れたというか、産まれてくるのが楽しみになりました。
しかし、数日もすると突然どうしようもない寂しさや不安に襲われえることもありました。夕食を作っていると、ふと私たちはもう孫を見ることはないんだろうな、孫を抱っこすることもまずないんだろうなと思ったり、私たちが70歳、80歳過ぎても子どものご飯を作ったり、もしかしたら付き添って外出もしなけければならないのかと考えると、涙がポロポロと出てきました。
「産む」と決めたのに迷っている自分
「産む」と決めたはずの私なのに、涙が出たり、心が苦しくなる日々でした。夫はこのような私になぜ迷っているのか、なぜ涙が出てくるのかを考えた方がいいと言ってくれました。それから、夫と話し合ったことで分かったことがありました。
それは、私たちの人生の中で培ってきた価値観を、大きく方向転換しなければいけないのかもしれないと言うことでした。子どもができたら、子どもの将来のことを考え、こんな幸せがあるな、こんな楽しみが待っているなという人生観みたいなものを取り消して、一から考え直していけないと言うことが辛い、しんどいと感じてたんだと思います。親なら、きっと自分よりも成長して欲しいと願うし、これができなかったから子どもにはこうなって欲しいという次元ではない、どうしようもない悲しさと悔しさみたいなものがあるからなんだと思いました。
突然の別れ
「産む」と決め、そんな人生観を一から構築し始めていた、妊娠30週3日の朝のことでした。いつも元気にお腹の中で動き回っている感覚がないことに気づき、目が覚めました。夫に伝えすぐに病院へ連絡し夫と一緒に受診しました。息子の心臓はすでに動いていませんでした。
息子を「産む」と覚悟したのに自信を持って息子を育ててあげられてなかった気がして、申し訳ない気持ちと後悔でいっぱいでした。
息子と別れて半年が経ちがたった今も、まだまだ後悔の気持ちでいます。息子をもっと信じてあげればよかったと思っています。でもこれだけは言えます。これまで流産を繰り返してきた私ですが、妊娠30週まで私たちと一緒にいてくれた息子に感謝している、ということです。大きな壁に何度もぶつかり、悩み、崩れそうになった時もありましたが、とても大切な時間でした。