新生児死

STORY9  9ヶ月間、娘の愛を力いっぱい感じることができました

プロフィール

Rさん/1986年生まれ/看護師 
2019年7月:妊娠34週4日、第一子の女の子を無頭蓋症で新生児死を経験 
インタビュー時:新生児死から3年1ヶ月 
#無頭蓋症 #無脳症 #リエゾン精神看護専門看護師 #リエゾン看護師 

STORY

大きな決断をしなければならない時に、医療者の方々はいつもそばで支えてくれました。
だからこそ、娘と幸せに過ごせたし、娘の愛情をたくさん感じることができました。と話してくれたRさん。Rさんの経験と想いを伺いました。

赤ちゃんの異常 

初めての妊娠でした。結婚当初は、私も主人も仕事が忙しく「子どもが欲しい」という気持ちにはなれませんでした。結婚3年目の2018年に第一子を授かりました。 
私が勤務していた総合病院で妊娠を確認してもらいました。以前の働いていたこともあり、院内のことはある程度把握できていました。 
妊娠12週、3回目の妊婦健診でした。そこで胎児に異常があることを告げられました。医師から「頭の形に異常がある可能性があります」と頭部の形態異常を指摘されました。次の健診(妊娠17週)時、主人と2人で受診しました。担当の医師から、「赤ちゃんが無頭蓋症(無脳症)であるということ」「出産後の救命は難しい」と説明を受けました。この健診の日まで時間があったので、主人と一緒にネットや本を借りて、ある程度考えられる病気について調べていました。そのため医師の宣告に、「そこまで動揺はしないはず」と思っていた私でしたが、いざ医師から説明を受けると、途轍もない罪悪感と悲しみで涙が止まりませんでした。主人は、落ち着いている様子でした。 
それから、妊娠を継続するか、継続するのであれば原則的に経膣分娩での出産になること、妊娠を中断するのであれば妊娠22週を超えると人工妊娠中絶ができなくなってしまうこと、という説明を受けました。 赤ちゃんが助からないと言う宣告、妊娠を継続するのかどうかを決断しなければならなく、目の前が真っ暗になりました。その後、医師や看護師が何か説明してくれたと思うのですが、内容は全く覚えていません。会計時に再診表をもらい、次回は妊娠19週0日目に健診があることを知りました。 

妊娠継続 

宣告を受けた日から娘に名前をつけ「Sちゃん」と呼ぶことにしました。 
胎動も感じるようになっていた私は、お腹で元気にぽこぽこと動くSちゃんがとても可愛くて仕方ありませんでした。「今日はSちゃん、すごく元気だね」「Sちゃん、今日は晴れてるよ」などとお腹に話しかていました。妊娠中はどんな食材をとった方が良いのかと知人の栄養士に連絡を取り食事も見直しました。主人は「Sちゃん、おはよう。今日も元気かな』と話しかけてくれたり、街に出かけると主人からベビー用品店を覗きたいと言ってSちゃんに合うお洋服を見たりしていました。
Sちゃんの存在を意識した生活を送る中で、私たちは自然と「いま、Sちゃんが生きていることを大切にしたい」、「できる限り3人で一緒に過ごしたい」と思うようになり、妊娠継続をすることに決めました。 

妊娠初期からのサポート

妊娠19週0日の健診時、妊娠継続を医師に伝えました。その後、母児ともにトラブルなく、Sちゃんは私のお腹の中で順調に成長していきました。 
妊娠26週頃の妊婦健診で助産師から、出産後の赤ちゃんとどう過ごしたいのか、産後何かしたいことはあるのかと説明を受けました。また、この病院には産科で流産・死産を経験した母親とその家族のためのグリーフケア外来が開設されている病院でしたので、産科外来が終わってからグリーフケア外来に受診になりました。そこでは、リエゾン精神看護専門看護師※(以下、リエゾン看護師)と言う看護師がいて、リエゾン看護師から、「産後の母親のグリーフケア」という冊子をもらい一緒に読みました。その後、リエゾン看護師は妊娠が判明してから現在までの経過を振り返ってくれました。宣告を受けた時の気持ちや、妊娠継続を決めた理由、妊娠中の不安、その中にも喜びを感じて過ごしていたことを話しました。リエゾン看護師は私の想いを丁寧に聞いてくれました。それまでは、「妊娠継続」という選択で本当によかったのか、心のどこかで迷いがありました。しかし、気持ちの整理ができ妊娠継続をしてよかったと思いました。 
また、リエゾン看護師は、「お腹の赤ちゃんにとっての最善の方法をみんなで一緒に考えていきましょう」と言ってくれ、それからの受診時は毎回リエゾン看護師も同席になりました。 

 ※リエゾン精神看護専門看護師とは、Liaison:連携、橋渡しを意味する。精神看護の卓越した知識や技術をもち、障害や疾患をもつ患者とその家族に精神的ケアをおこなう看護師のこと(日本看護協会)

リエゾン看護師の存在 

妊娠30週の頃、私たち夫婦と医療者(担当医、担当助産師、リエゾン看護師、小児科医師、小児科病棟の看護師)でSちゃんの分娩・産後について話し合う時間を設けてくれました。担当医から、現状と今後の説明がありました。その上で、分娩時や産後はどのように過ごしたいかを話し合ったのですが、出産を経験したことがない私は分娩や産後のイメージが湧きませんでした。
「とにかく、Sちゃんには大変な思いはさせたくないです。できる限り自然な状況で過ごさせてあげたい」とだけ伝えました。そしたら、リエゾン看護師から「迷うことがあればいつでも連絡をして良いこと」「娘さんの状況によっていつでも変更できる」と言うことを説明してくれました。私たちは、この日だけでは、決めきれなかったため、自宅に帰りゆっくり話し合うことにしました。 

出産

妊娠34週4日の夜間に破水したため、緊急入院になりました。主人は大切な仕事が入ってしまったため立ち会うことができなかったので、母(実母)に立ち会っもらいました。担当助産師は勤務を調整してくれ、分娩中はずっと付き添ってくれました。私は、破水したらすぐに生まれてきてくれると思っていましたが、陣痛が増してきてもなかなか生まれて来てくれなく、何度も挫けそうになりました。しかし、担当助産師はそんな私に「ゆっくりでいいですよ」「Sちゃんもママに会いたがって頑張ってますからね」と励ましてくれ、背中をさすってくれていました。時には「体の向きを変えてみましょう」と産みやすい体位に誘導してくれたり、バランスボールやテニスボールを持ってきて陣痛の痛みを和らげてくれたり、私が好きなディズニーのオルゴールの音楽を流してくれたりしました。

破水から10時間後、1448gの女の子、Sちゃんが産まれました。分娩時、娘のなき声は聞こえませんでした。すぐに助産師が私の胸元に連れてきてくれました。娘の心臓が小さく拍動しているのが肌で感じられ、涙が止まりませんでした。「産まれてきてくれてありがとう」と何度も話しかけ続けました。少ししてからリエゾン看護師が訪床し、「ご出産、おめでとうございます。よく頑張りましたね」と涙を流しながら声をかけてくれました。主人は仕事を終え、すぐに駆けつけてSちゃんを抱っこし「大きいね、産まれてきてくれてありがとう」と涙を流していました。その後、娘の心拍は徐々に低下していく感覚がし、出産から42分後に息を引きとりました。 

Sちゃんを見送ってから3年後の今の気持ち 

医師から宣告を受けてから「まさか、私たちの赤ちゃんが」という現実を受け入れ難い気持ちが強くありました。しかし、妊娠初期から医療者の方々は、私たちの気持ちに寄り添い、娘を名前で呼んでくれたり、そばで支えてくれていました。大きな決断に対しても、背中を押してくれていました。 
Sちゃんが亡くなった事実はどんなに強がっても、変わりません。やっぱり悲しくて悔しいです。 
でも、Sちゃんと過ごした妊娠9ヶ月間、Sちゃんの愛を力いっぱい感じることができたと思います。 

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