死産・人工死産

STORY2 元気で生まれてきてくれたらそれだけでいい。現役助産師が死産を経験し感じたこと。

プロフィール

菜月さん(仮名)/1986年生まれ/助産師 
インタビュー時:死産後2年  
2020年:第三子妊娠15週で子宮内胎児死亡による死産 

#子宮内胎児死亡 #頸管拡張術 #ラミナリア #助産師

STORY

現在、総合病院産科病棟に勤務する助産師Gさん。
自身が死産を経験して、一当事者として感じたことを綴ってくれました。

突然止まったつわり症状。嫌な予感が当たってしまった。

第一子(女児)、第二子(女児)ともにつわり症状があり、第三子(三女)の妊娠でもありました。 
第三子の妊娠12週ごろ、友人家族と札幌旅行を予定していましたが、つわり症状があるため不安を感じていました。しかし、旅行直前にそれまであったつわり症状がピタッと治りました。「なんか変だな、もしかしたら、でもまさかな〜」と友人と話していましたが、その時は受診はしませんでした。旅行中はもちろんつわり症状は全くなかったので思うように身体が動き、旅行中は楽しく過ごせました。 

医師の言葉に救われました。

旅行後、いつも通う産科クリニックへ妊婦健診に行きました。そこで、つわりが急に止まったことが不自然で不安だと医師に告げると、「大丈夫だよ〜、妊婦さんの中には、そういう方もいるけれど、どの赤ちゃんも元気ですから〜」と話し、腹部にエコーをあて診察が始まりました。すると、医師の口から「赤ちゃん、お亡くなりになっています」と。急にその場が凍りついたような、そんな雰囲気へと変わりました。
この宣告を告げられた直後は、何も言葉がでませんでした。自分のことよりも友人や職場にどう説明しようか、つい最近仲の良い友人のLINEグループで妊娠報告をしたばかりであったのにと周囲の心配ばかりしていました。 あの時旅行に行かなければよかったかな、無理しすぎたかななど怒りは自身に向いていました。
娘の担当医師は長女の時もお世話になっていた医師でしたし、以前私もこのクリニックで助産師として働いていたのもあり思い入れがありました。 この医師からの説明は「赤ちゃんに、先天性の何かあったんとちゃう?」「今回の妊娠はなかったことにしないでくださいね」。そう告げられました。医師からのこの言葉に、私を責めるわけでもなく、いのちの中にはこのような運命の子たちがいるという意味が含まれていることを感じました。今でもこの言葉は決して忘れません。とても前向きになれた言葉でした。

娘が亡くなっているとわかると、翌日から入院になり出産となりました。
入院までの時間になんとかして娘との思い出の時間を作りたい、何かプレゼントを持たせてあげたい!そう思い、入院までの時間には百均など色々周り、プレゼントの準備をしました。 
出産当日、頸管拡張術をし、膣錠を挿入し(2錠)、娘はスルッと出てきてくれました。安産でした。助産師として勤務していた中で関わった患者さんたちから、この頸管拡張術や膣状はとても痛いと聞いていました。しかし、自分は痛みに強いためか、我慢できる痛みですみました。 
また、クリニック側の配慮により、入院当初から個室でした。そのため、立ち会い出産もできましたし、他の赤ちゃんの声を聞かなくてもすみました。入院の精算までも個室で済ませてくれる、そのようなクリニック側の配慮にはとても感謝しています。 

私を元気づけようとかけくれた言葉が、逆に傷つきました。

産後、周囲の方からは死産した直後にも関わらず「無理しすぎたんとちゃう」「次の子はいつ妊娠予定なん?」「元気そうでよかった」そう私に声をかけてくれました。しかし、私を気にかけてくれた声かけ、元気づけたくて励ましてくれた声かけだったのかもしれませんが、他人事のようなとても残念な言葉に感じました。
また葬儀は行わず、直葬※で済ませました。このことから「葬儀にお金がかかるからなんとちゃう?」などの陰口も聞こえてきました。家庭の事情や家族の時間を優先してのこの選択でしたが周囲からこのような言葉がありとても残念でしたし、思ってもいなかった言葉だっだため深く傷つきました。
このようなことから、私自身も子どもを失うまでは当事者の想いを深く考えられていませんでしたが、娘を亡くすという経験から、当事者しかわからない想いがそこにはあることを痛感しました。
※直葬とは、通夜や葬式といった儀式を行わずに火葬だけ済ませること

子どもたちのおかげで助かったこともありました。 

当時2歳と5歳だった娘たちには、赤ちゃんが亡くなってしまったことを話しました。 
娘2人には亡くなった赤ちゃんには会わせていませんが、棺を見せて「ここに赤ちゃんが寝てるんだでー」と話しました。 2人は幼かったのもあり、赤ちゃんが亡くなってしまったという事実をちゃんと理解するというよりも赤ちゃんが泣いていないことや、私たちの様子がいつもと違うという雰囲気を感じとっているようでした。
5歳の娘(長女)は保育園に通わせており、保育士に「あかちゃん、うまれたけれどしんでるんだでー」と話しておりました。本来なら、母親である私が保育士に話す必要があったのかもしれませんが、娘たちのおかげで話さなくても保育士たちには事情が伝わったりし助かった面もありました。 
あの時、子どもたちには赤ちゃんが亡くなったことを話せてよかったなと感じています。 
主人はと言うと、「忘れたら?」「まだ引きずっているの?」と言われた時もありました。そうとわかっていても主人に言われてしまうととても悲しかったです。その後も主人との気持ちのずれがありましたが、夫を責めるわけでもなく、ただ男女間でこんなにも気持ちのずれが生じるんだなと感じました。

今年の夏で3回忌をむかえます。娘のことを忘れたくないという思いもあり、命日には家族みんなで京都の水子供養で有名なお寺に行きます。そのため、今は娘へのためプレゼントも準備しています。 

流産・死産で赤ちゃんを亡くされた方や不妊治療を頑張っている方の支えになりたい。

当時は私の姉も妊娠しており、娘との予定日も近くとても楽しみにしていました。うまれてきたら同級生やね〜っと姉と話していました。きょうだいで同じ時期に妊娠期間を迎え、赤ちゃんたちが生まれて来てくれることを心より楽しみにしていました。しかし、このように、思い描いていた産後の明るい未来は突然消え去ってしまうという経験もあることを実感しました。 
助産師として勤める中で、不妊治療を頑張られているご夫婦、私のように突然赤ちゃんを亡くしてしまう家族もみてきました。自身の経験からも、子どもを授かり、妊娠生活を母子ともに無事に過ごせること、出産を無事に終えるというこの一連が本当に奇跡なんだということを感じています。現代では産み分けができたり、出生前診断では胎児を知る機会が多くありますが、皆さんに伝えたいことは「赤ちゃんが元気にうまれてきてくれ、母子ともにとにかく元気でいてくれればそれだけで十分」なのではないかなと思っています。 
今後も助産師として勤務して行く予定ですが、いのちに懸命に向き合っている女性やご夫婦の気持ちに寄り添える、そんな助産師になりたいです。

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