人工妊娠中絶

STORY5  2度の人工妊娠中絶を経験。辛い現実と向き合ったからこそ、今の私がいます。 

プロフィール

Sさん/1998年生まれ 
インタビュー時:2度目の人工妊娠中絶から2年6ヶ月
2018年7月:1度目の人工妊娠中絶 
2020年1月:2度目の人工妊娠中絶 
2022年4月:結婚 

#人工妊娠中絶 

STOR

あの時、辛い現実と向き合ったからこそ「今の自分の気持ちの整理に役立っている」と語られたSさん。
2度の人工妊娠中絶を経験した後の、新たな人生のあゆみについてお話ししていただきました。

1度目の人工妊娠中絶について 

1度目の人工妊娠中絶手術は4年前のことでした。避妊具のコンドーム装着のタイミングが悪かったと思われる、「避妊の失敗」による妊娠だったかと思います。当時(20歳)、私は一人暮らしで大学に通っていました。妊娠には全く気づかずに過ごしていました。しかし、倦怠感や吐き気といった症状が続き、学校を1週間ほど休んだことがありました。このような症状に襲われるのが初めてだったのでとても不安な日々を過ごしていました。大学を休んでいる間に、自宅付近の薬局へ行き妊娠検査薬を購入しました。まさかなとは思っていましたが、でも心当たりもあったので使ってみると「陽性」でした。正直な気持ちとして、その時から「絶対に産めない」と思っていました。 

大学の友人からLINEや電話がありましたが、「心配しないでね。風邪ひいただけだから」とだけ伝えたり、自宅まで駆けつけてくれた友人もいましたが、悪阻がある中で正気のフリをしなければならなかったことや、妊娠したことについても話せない、相談できないことがとても辛かったです。 

当時私と同じく大学生だった彼とは、暗黙の了解という雰囲気で深く話し合えませんでした。すでに私には母性が芽生えていたようで、エコー写真に写る赤ちゃんを見てかわいいと感じていましたが、産みたい、育てたいという気持ちにはなれませんでした。きっと当初から子どもを幸せにすることができないと思っていたため、私一人で人工妊娠中絶の決定をしました。
自分一人での決断だったためか、1年ほど赤ちゃんを中絶したことに対して罪の意識がものすごくあって辛かったです。 

あれから4年たった今となったら、「その時のあの判断は正解だったかな」と感じています。 

2度目の人工妊娠中絶について

2度目の人工妊娠中絶手術は2年前のことでした。当時、私は22歳でした。前回の妊娠とは違う男性で、私より6歳上でした。付き合った当初から結婚の話も出たりしていたため、私は結婚を前提に付き合っているつもりでした。この妊娠は私にとっては、ある意味、故意の出来事だったので「当然産めるもの」だと思っていました。しかし、妊娠を彼に告げると「仕事が忙しくて今は結婚できない」、「産まないでほしい」とはっきりと言われてしまいました。私は産むことを希望し、何度も彼と話し合いをしましたが平行線でした。産まない選択をするならば初期中絶手術※と思ったらすでに時間がなくて。そのうちに諦めの気持ちになってきてしまいました。何で私が折れなければならないのかとイライラもしてきてしまい、中絶を決めました。赤ちゃんを失うというよりは、彼に裏切られたという思いが大きかったです。 
理屈では説明できない自分の気持ちを彼にわかってもらえず、やり場のない気持ちでした。 

中絶費用は彼が全額負担してくれ、出産にも立ち会ってくれました。しかし、出産中も「赤ちゃんのいのちよりも仕事が大切なのか、なんでや」と彼への怒りが強かったです。

※日本産婦人科医会によると、妊娠12週未満の場合は初期中絶手術となり、子宮内容除去術として掻爬法(そうは法、内容をかきだす方法)または吸引法(器械で吸い出す方法)が行われます。一方、妊娠12〜22週未満の場合は中期中絶手術といい初期中絶手術と異なり、あらかじめ子宮口を開く処置を行なった後、子宮収縮剤で人工的に陣痛を起こし流産させる方法をとります。個人差はありますが、体に負担がかかるため通常は数日間の入院が必要になります。妊娠12週以後の中絶手術を受けた場合は役所に死産届を提出し、胎児の埋葬許可証をもらう必要があります。日本産婦人科医会

産婦人科クリニックの対応 

2度目の妊娠していたときに受診していたクリニックでは、人工妊娠中絶手術の事前検診であったにも関わらず、医師から「順調ですね」と言われたり、人工妊娠中絶を希望するとわかってからは、看護師の態度がこれまでと一変するかのように冷たくなりました。自分で下した決断と言え、1人のいのちを奪うわけでとても辛かったのに、医療者側のこのような対応は凄く虚しく、この状況から逃げたいという思いが強かったです。 

人工妊娠中絶手術当日は、他の(お腹が大きくなった)妊婦さんと同じ待合席に待たされたり、夫婦と思われる2人がエコー写真を嬉しそうに眺めている姿をみると、私は何してるんだろうと逃げ出したかったです。この時は、1回目に経験した初期中絶手術とは違い、中期中絶のため「出産」という形で赤ちゃんを産みました。陣痛の痛みよりも、一生懸命に生きている赤ちゃんのいのちを奪ってしまうことへの申し訳なさや、母親として赤ちゃんを守れなかったことの悔しさが湧き上がってきて、私もこの子と一緒に逝ってしまいたいと考えた時もありました。

2度目の人工妊娠中絶後の気持ち 

「この決断で本当に良かったのか」とわからなくなってしまう時がありました。妊娠がわかったら、一番頼りたかったのは彼なのに、その彼への不信と怒りがなかなか解消できずにいました。いのちを奪ってしまった罪悪感と、「赤ちゃんの死」を自分1人で向き合わなければならなく、とても辛く孤独感でとても苦しかったです。
それからは、「私は子どもを産んではいけない、子どもを愛してはいけない、子どもをもつ資格はない」ということを自分への戒めとして心に誓いました。 

中絶後1年間は人と会いたくない、話したくないと思い、ベビーカーを引いている人や妊婦を避けて生活していました。 自分を守るためにそうせざるを得なかったです。

出会いがあり、今年結婚。夫とこれからを歩んでいきたいと思っています。

今年4月に、1年付き合った男性と結婚をしました。 
夫には、2度人工妊娠中絶の過去があることは伝えてあります。 
中絶したことも含めて私を受け入れて、支えてくれています。 

今年7月、1人目の子の命日でした。夫と一緒にお寺に行ったり、帰りの車の中では中絶した時の思いや赤ちゃんについても話しました。 夫は、これといった特別な言葉を使わない人ですが、私の数少ない言葉でも聞いてくれ、分かってくれる夫がいることが、心の支えであり、自分の気持ちの整理に繋がっている気がします。

また、1度目の人工妊娠中絶手術を受けた時から、体験したことやその時の感情をノートにまとめています。当時付き合っていた男性への怒りや様々な感情を文字として残しています。私は言葉で気持ちを伝えることが苦手なので、ノートに書き出しています。ほとんど箇条書きですが、気持ちの整理に役立っています。

その当時はとても辛いことで、現実から目を背けたくなりました。
しかし、私自身が「触れてはいけない出来事」として葬り去ることにしてしまったら「この子たちは誰が想ってあげられるのだろう」「この子たちをずっと想ってあげられるのは私しかいない」、そう思えるようになりました。 

まだ、という表現が正しいかはわかりませんが、子どもが欲しいという気持ちにはなれずにいます。夫にもそう話しました。そうしたら、「焦らなくてもいい。欲しくなったら望んでみよう」と言ってくれました。少しずつではありますが、自分の気持ちを整理していき、2つのいのちを想いながら、夫と一緒にこれからを歩んでいきたいです。 

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