プロフィール
Tさん/ 1992年生まれ/ パートタイムの会社員
2020年3月:妊娠9週で人工妊娠中絶
インタビュー時:人工妊娠中絶から2年2ヶ月
#人工妊娠中絶
STORY
幼い頃から、子どもと接するのが苦手だったというTさん。
人生の中で「子どもを産み・育てる」という選択肢は全くなかったと話す。しかし、予定外の妊娠、人工妊娠中絶の経験をし、「子ども」の認識が変わったと話してくれました。Yさんの経験と想いについて伺いました。
物心つく頃から子どもに関心がなかった
そもそも子どもを欲しいと思ったことがありません。私っておかしいですか?
私は一人っ子で育ちました。幼い頃から遊ぶ時は両親でした。特に母でした。
「女性は結婚し、子どもを産んで、育てる」のが当たり前。それが女性としての役割という意識が強くあるように思います。しかし、私は物心つく頃から赤ちゃんや子どもが「可愛い」と思ったことがありませんでした。そのため、一時期は「私っておかしいのかな」と悩んだこともありました。生理がくることも本当に嫌で、早く止まって欲しいと思っていました。
友人や両親は「子どもが生まれたら可愛いよ」「産んで良かった、って絶対に思うよ」と言っていましたが、こんな私が子どもへ愛情を注げるのかと不安や恐怖心の方が大きく、子どもを産み育てることへの幸せなイメージがもてないままでした。
友人や親族から、結婚や出産の報告を耳にする機会が増えた時も、「みんな子ども欲しいと思って結婚するのかな」と疑問でいました。
自分のことばかり考えていました
当時付き合っていた彼とは子どもをつくらない前提で付き合っていました。しかし、彼との間に子どもができ、妊娠を彼や両親に伝えると、結婚して子どもを産むことを希望されました。しかし、このように言われてもなかなかお腹の赤ちゃんのことをかわいい、産みたいと思えませんでした。
健診時のエコーでは、「心臓、動いてる。止まってくれないかな、嫌だな」と思っていました。つわりが日増しにひどくなり、赤ちゃんをどうしたらいいのかを考えることが苦痛でした。つわりのせいで思うように体が動かせなくイライラしていました。それでも、お腹の赤ちゃんはどんどん大きくなっていって、「どうして私のところにきたんだろう、早く流産でもしてくれないかな」と思っていました。どうしよう、どうしようと言う不安ばかりでしたし、この状況から早く逃げたいとずっと思っていました。
妊娠7週くらいから、つわりがそれ以前よりひどくなり、出勤もできなくなりました。パートでしたので仕事を辞めることにしました。仕事を辞めてからは、体を休める時間が増え、気持ちに余裕が出てきたためか、「産んだ方がいいのかな、産んだら可愛いと思うのかな」という気持ちになりました。この気持ちを彼に相談をすると、彼は「やっぱり堕ろしてほしい」、「もし、産むのではれば1人で産んで欲しい」と言いました。私は、「え??は??」と頭の中が真っ白になりました。産むか産まないかこんなに悩んでいたのに、他人事のような彼の発言にとてもショックでした。
でも、後から思ったんです。これまでの私は、彼の気持ちを十分に聞けてなかったとなと後悔しました。自分のことばかり考えていました。彼は初め、産むことを希望していたので、私がこんな気持ちでいたため、彼は「私と一緒にいたくない、このままでは幸せな家庭を築いていけない」と思ったのでしょうね。
彼に堕ろして欲しいと言われたら、逆に赤ちゃんを産みたい気持ちの方が強くなってきました。もしかしたら、私は赤ちゃんを産みたいのではなく、彼と一緒に居たかった、彼が離れてしまうことが怖かったのかもしれません。赤ちゃんを産んだら彼と一緒にいられるのかもしれないと思って「産みたい」と思うようにしていたのかもしれません。
手術直前まで悩み、泣いていました
彼と話し合った結果、赤ちゃんを産む、産まないのどちらの選択をしても、彼は私と別れたいと言ってきました。そのため、私は人工妊娠中絶手術をすることにしました。
手術当日は、彼も私の両親も仕事であったため付き添いは誰もいませんでした。事前に医師から、処置は15分くらいで終わるという説明でした。しかし、当日病院に着くと待合室は他の患者で席が埋まっており、予約時間から30分も待合室で待ちました。待合室には、お腹の大きい妊婦さんや妊娠を楽しみにしているようなカップルばかりでした。そこに私のような赤ちゃんとお別れするものがいて良いのだろうか、私は何をしにきてるのだろうか、本当にこの選択で良いのだろうかと、手術直前までずっと悩み涙が止まりませんでした。
処置室に入り、医師に「これから行なっていきますね」と言われた時、私は「やっぱりヤダ」と言いたかったです。でも言える勇気もありませんでした。そんな私に、看護師はとても丁寧に接してくれました。泣いている私の側で肩を撫でてくれていました。また手術中の様子をわかりやすく教えてくれました。看護師が「赤ちゃん、もうそろそろ出てきますよ」と言ってくれた時、「あ〜、赤ちゃん産まれてしまうのか」と寂しくて、辛くなりました。
看護師から「赤ちゃんはまだ人としての姿ではありませんが、会ってみますか?」と聞いてくれましたが、とても会う勇気もなかったので、会わずに病院で引き取ってもらうことにしました。 痛みもそこまで強くなかったため、日帰りでその日のうちに自宅へ帰りました。
中絶後遺症候群
中絶してから2ヶ月くらいから、赤ちゃんを堕ろしてしまった罪悪感と絶望感でいっぱいでした。突然泣きたくなってしまったり、急に大声出して泣いてしまったり、突然気持ち悪くなってしまったり、夜はほとんど眠れなく、昼に寝ていました。このような生活が2ヶ月ほど続きました。
それから、別の男性と付き合ったのですが、性交渉ができなくなりましたし、男性の目を見て話することもできくなりました。男性が怖いっていうことなのかな。でも、好きという感情があるので付き合っているのですが。なんだか、矛盾していますよね。
ある日、ネットで中絶について検索してみると、私のように中絶後も悩み、苦しんでいる女性が少なくないことを知りました。ある婦人科のホームページには、こう書かれていました。「中絶手術後のストレスや感情を抑圧してしまうことで肉体的や精神、行動面に影響を及ぼすことがあり、PAS(Post Abortion Syndrome:中絶後遺症候群)、PASS( Post Abortion Stress Syndrome中絶後ストレス症候群)と言う」。病院で診断されたわけではないですが、当てはまる項目が多かったためきっと私はそうなんだろうと思っています。
手術前も絶望でしたが中絶後はもっと絶望で、孤独で、自分を失っている感覚で、生きている感覚がありませんでした。
子どもが可愛いと思えるようになりました
これまでは、「私は子どもを産む資格はない」「私は子どもを育てられない」と考えていました。これまでの私は、自分のことしか考えられていませんでした。
しかし、中絶後2年が経った今、子どもを授かることは「私1人ではできないことで、そこに必ずパートナーがあってのこと」、「決して女性1人ではできないことで、とても素敵なこと」と思えるようになったら、自然と子どもが可愛いと思えるようになりました。
あの時の後悔や罪悪感は一生背負っていくんだと思います。 もしあの時、堕ろす選択をしてなかったら、今違っていたのかなと思う時はあります。しかし、あの時の経験があったから、今の私は「子どもを産んで、育てるのいいのかもしれない」と思うようになったと思います。新しい私と向き合って今を、これからを生きていきたいと思います。